記事「福島」 の 検索結果 7817 件
-
神指町如来堂会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられています。
-
中野竹子殉節之地明治元年(1868年)8月25日、黒髪を断ち、薙刀をかかえて衝鋒隊に加わった中野竹子は、城下にせまる長州・大垣藩の兵士とこの地で遭遇。激戦の中、敵の銃撃に会い壮烈な戦死をとげました。 享年22歳。
-
中野竹子像中野竹子は幕末期の会津藩の女性。容姿端麗で聡明、薙刀は免許皆伝ほどの腕前であり、男勝りの女丈夫として知られていました。会津戦争に際して自主的に婦女隊として戦い、壮絶な戦死をしました。
-
清水屋旅館跡会津若松市の七日町通り、大東銀行会津支店がある場所が清水屋旅館跡。吉田松陰が東北紀行の途中に、また戊辰戦争の際には新選組副長土方歳三が宿泊した旅館で、明治には清水屋事件が起きている場所でもあります。
-
上杉謙信公仮廟所跡会津若松城内の西南の一画にある上杉謙信公の仮廟所跡。慶長3年(1598年)、上杉景勝は会津移封にともない、上杉謙信公の墓所も会津に移したとのことです。その後の慶長6年(1601年)、上杉景勝の米沢転封..
-
会津若松城会津若松市ある城で、鶴ヶ城あるいは単に会津城とも呼ばれています。保科正之が23万石で入封以来、明治維新まで会津松平家の居城であり、戊辰戦争の際には1か月にも及ぶ激戦の舞台ともなりました。
-
芦ノ牧温泉福島県会津若松市にある温泉で、阿賀川を見下ろす高台に温泉街が広がり「会津芦ノ牧温泉」と呼ばれることも多いとのことです。開湯伝説では行基による発見ですが、弘法大師による発見説もあるそうです。
-
戸の口堰洞穴天保年間に会津平野の灌漑用水として猪苗代湖より通水した洞穴。戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため、戸の口原から飯盛山に向かう途中、この洞穴を通ったとのことです。
-
白虎隊の墓福島県会津若松市の飯盛山山中にある白虎隊士19名の墓。戊辰戦争後、白虎隊士の埋葬は許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬されていましたが、明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬が許されたとのことです。
-
白虎隊自刃の地若松城下に迫りつつある新政府軍を迎え撃つため、白虎隊二番隊は戸ノ口原に出陣。しかし決定的打撃を受け、飯盛山へと落ち延びてきた総勢20名は、飯盛山から城下の火災を目にし終にこの地で自刃を決行しました。
-
飯沼貞雄墓会津若松市の飯盛山にある白虎隊の生存者、飯沼貞吉の墓。年齢を偽って白虎隊に参加し、飯盛山で他の十九士と共に自刃に及びましたが死に切れず、命を救われました。維新後は貞雄と改名し、77歳で生涯を終えました..
-
松平容保弔歌の碑会津若松市の飯盛山にある、松平容保が白虎隊に捧げた弔歌の碑。 「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う」 源容保松平容保は、会津戦争の時の会津藩主でした。