記事「福島」 の 検索結果 7817 件
-
戸の口堰洞穴天保年間に会津平野の灌漑用水として猪苗代湖より通水した洞穴。 戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため、戸の口原から 飯盛山に向かう途中、この洞穴を通ったとのことです。
-
白虎隊の墓福島県会津若松市の飯盛山の山中にある、白虎隊士の墓。 戊辰戦争後、白虎隊士の埋葬は許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬され ましたが、明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬がゆるされたとのことです。
-
白虎隊自刃の地若松城下に迫りつつある新政府軍を迎え撃つため、白虎隊二番隊は戸ノ口原 に出陣しましたが、決定的打撃を受けて潰走し、飯盛山へと落ち延びました。 飯盛山から城下の火災を目にした総勢20名は、ここで自刃..
-
飯沼貞雄墓会津若松市の飯盛山にある、白虎隊の生存者、飯沼貞吉の墓。 年齢を偽って白虎隊に参加し、飯盛山で他の十九士と共に自刃に及んだが、 死に切れず命を救われ、維新後は貞雄と改名し、77歳で生涯を終えました..
-
松平容保弔歌の碑会津若松市の飯盛山にある、松平容保が白虎隊に捧げた弔歌の碑。 「幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う」 源容保 松平容保は、会津戦争の時の会津藩主でした。
-
戸ノ口原古戦場慶応4年 (1868年)8月22日、新政府軍は母成峠の藩境を突破し、 「戸ノ口十六橋」を占拠して、会津城下への侵入の動きを見せました。 この地で、これを迎え撃とうとした白虎隊も苦戦し、撤退を余儀な..
-
十六橋猪苗代町と会津若松市に跨る日橋川に架かる橋で、旧若松街道が通る橋。 名前の由来は、弘法大師が16の塚を作り橋を作ったとのことからだそうです。 慶応4年(1868年)に、会津戦争「十六橋の戦い」の舞..
-
旧二本松街道並木道楊枝峠経由の若松城下と本宮宿を結ぶ街道の会津領内部分が二本松街道。 明治25年の新県道の開通により、旧街道は衰退の一途をたどりましたが、 この付近の松並木は、街道跡として良好な状態を残しています。..
-
三忠碑天正17年(1589年)に起こった摺上原の戦いで、主君の危急を救うために 戦死した、蘆名氏の家臣三名(金上盛備・佐瀬種常・佐瀬常雄)の忠誠心を 後世に伝えるために、古戦場に建てられた石碑です。
-
猪苗代町むかし体験館福島県猪苗代町の亀ヶ城公園内にある、むかしを体験する施設。文化8年 (1811年)建築の囲炉裏のある茅葺屋根の直屋を利用して、地元に伝わる 民話の伝承などに利用されているとのことです。
-
猪苗代城跡会津の猪苗代にある城跡で、鶴ヶ城に対して亀ヶ城とも呼ばれていた城の跡。 江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、藩主の 保科正之の死後はその墓所の守護という重要な役目も担ったと..
-
母成峠古戦場慶応4年(1868年)8月21日に行われた、母成峠の戦いの古戦場。 会津藩境の母成峠を守る旧幕府軍800が、新政府軍2,200と 戦いましたが、兵力及び兵器の差で勝てず、旧幕府軍は敗走しました。