記事「福島」 の 検索結果 7817 件
-
ガトリング砲アメリカの発明家ガトリングの開発した最初期の機関銃。 日本では越後長岡藩の河井継之助が北越戦争で初めて使用しました。 長岡市と只見町の両方の河井継之助記念館に複製品が展示されています。
-
河井継之助像(只見)河井継之助は越後長岡藩の家老上席、軍事総督で、戊辰戦争にあたっては 武装中立論を主張したが、結果は自分の意に反して、北越戊辰戦争を主導。 戦場で重傷を負い会津へ逃れる途中、現在の南会津郡只見町でつ..
-
河井継之助終焉の間河井継之助は、長岡城下で被弾し重傷を負い、会津へと運ばれて行きました。 しかし、現在の南会津郡只見町まで来たときに、傷が悪化してついに落命。 継之助終焉の間が、河井継之助記念館内に移築保存されてい..
-
河井継之助記念館(只見)河井継之助の最期の地である、現在の南会津郡只見町にある記念館。 長岡城下での新政府軍との戦闘で被弾し重傷を負った河井継之助は、 再起を図るため会津を目指しましたが、ついにこの地で落命しました。
-
如来堂会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。 明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に 立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられまし..
-
中野竹子殉節之地明治元年(1868年)8月25日、黒髪を断ち、薙刀をかかえて衝鋒隊に 加わった中野竹子は、城下にせまる長州・大垣藩の兵士とここで遭遇。 激戦の中、敵の銃撃に会い、壮烈な戦死をとげました。 享年22..
-
中野竹子像中野竹子は、幕末期の会津藩の女性で、容姿端麗で聡明、 薙刀は免許皆伝ほどの腕前であり、男勝りの女丈夫として知られていました。 会津戦争に際して、自主的に婦女隊として戦い、壮絶な戦死をしました。
-
清水屋旅館跡会津若松市の七日町通り、大東銀行会津支店がある場所が、清水屋旅館跡。 吉田松陰が東北紀行の途中に、また戊辰戦争の際には新選組副長土方歳三 が宿泊した旅館で、明治には清水屋事件が起きている場所でもあ..
-
上杉謙信公仮廟所跡会津若松城内の西南の一画にある、上杉謙信公の仮廟所跡。 慶長3年(1598年)、上杉景勝は会津移封にともない、 上杉謙信公の墓所も会津に移したとのことです。
-
荒城の月碑会津若松市の会津若松城本丸月見櫓跡の石垣下にある歌碑。 「荒城」のモデルとしては、この他に、仙台市の仙台城(青葉城) 大分県竹田市の豊後竹田城(岡城)等もあるようです。
-
会津若松城会津若松市ある城で、鶴ヶ城、あるいは単に会津城とも呼ばれています。 保科正之が23万石で入封以来、明治維新まで会津松平家の居城であり、 戊辰戦争の際には、1か月にも及ぶ激戦の舞台ともなりました。
-
芦ノ牧温泉福島県会津若松市にある温泉で、阿賀川を見下ろす高台に温泉街が広がり、 「会津芦ノ牧温泉」と呼ばれることも多いとのことです。 開湯伝説では行基による発見ですが、弘法大師による発見説もあるそうです。