記事「福島」 の 検索結果 8143 件
-
二本松少年隊像二本松少年隊とは戊辰戦争に出陣した二本松藩の少年兵部隊のこと。本来は13歳以下は出陣不可でしたが、危急の措置として12歳の少年も出陣して戦死し、戊辰戦争における悲劇の一つとして知られています。
-
丹羽和左衛門・安部井又之丞自尽の碑戊辰戦争で、慶応4年(1868年)の7月に二本松城は落城しました。その際、丹羽和左衛門(城代)と安部井又之丞(勘定奉行)は共に自尽。その両人の供養碑が、天守台の近くに建てられています。
-
二本松城二本松城は福島県二本松市にある城で、日本100名城の一つ。戊辰戦争時には二本松藩と明治新政府軍との戦いの舞台ともなり、落城に際し、動員れた少年兵が犠牲となったことで知られています。
-
河井継之助墓(只見)現在の南会津郡只見町で落命した河井継之助は、この地で荼毘に附され、 遺骨は一度は会津に渡り、その後明治になってから長岡に改葬されました。 只見の墓は、荼毘で残った遺灰と遺骨を村人たちが葬ったものだ..
-
河井継之助終焉の地河井継之助は、長岡城下の戦闘で重傷を負い、再起を図るため、八十里峠 を通って会津へと向かいましたが、ついに塩沢村(現・福島県只見町)で落命。 慶応4年8月16日(1868年10月1日)のこと、 享..
-
ガトリング砲アメリカの発明家ガトリングの開発した最初期の機関銃。 日本では越後長岡藩の河井継之助が北越戦争で初めて使用しました。 長岡市と只見町の両方の河井継之助記念館に複製品が展示されています。
-
河井継之助像(只見)河井継之助は越後長岡藩の家老上席、軍事総督で、戊辰戦争にあたっては 武装中立論を主張したが、結果は自分の意に反して、北越戊辰戦争を主導。 戦場で重傷を負い会津へ逃れる途中、現在の南会津郡只見町でつ..
-
河井継之助終焉の間河井継之助は、長岡城下で被弾し重傷を負い、会津へと運ばれて行きました。 しかし、現在の南会津郡只見町まで来たときに、傷が悪化してついに落命。 継之助終焉の間が、河井継之助記念館内に移築保存されてい..
-
河井継之助記念館(只見)河井継之助の最期の地である、現在の南会津郡只見町にある記念館。 長岡城下での新政府軍との戦闘で被弾し重傷を負った河井継之助は、 再起を図るため会津を目指しましたが、ついにこの地で落命しました。
-
如来堂会津若松市の鶴ヶ城から北西、阿賀川の近くにある如来堂。 明治元年(1868年)年9月4日、会津城下に来襲した新政府軍は、如来堂に 立てこもる新選組に激しい攻撃を加え、新選組は全滅したと伝えられまし..
-
中野竹子殉節之地明治元年(1868年)8月25日、黒髪を断ち、薙刀をかかえて衝鋒隊に 加わった中野竹子は、城下にせまる長州・大垣藩の兵士とここで遭遇。 激戦の中、敵の銃撃に会い、壮烈な戦死をとげました。 享年22..
-
中野竹子像中野竹子は、幕末期の会津藩の女性で、容姿端麗で聡明、 薙刀は免許皆伝ほどの腕前であり、男勝りの女丈夫として知られていました。 会津戦争に際して、自主的に婦女隊として戦い、壮絶な戦死をしました。