記事「群馬」 の 検索結果 6002 件
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脇屋義助像脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋に拠ったことから名字を「脇屋」と称し、兄の義貞とともに南朝方の武将として活躍しました。脇屋義助の菩提寺である正法寺(群馬県太田市脇屋町)に像があります。
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脇屋義助遺髪塚脇屋義助は新田義貞の弟で、宮方として常に義貞とともに各地で転戦。兄である新田義貞の死後は、四国に渡り、伊予の土居氏・得能氏を指導して一時は勢力をふるいましたが、伊予国府で発病し、享年38で病没しました..
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脇屋義助館跡脇屋義助は新田義貞の弟で、上野国新田郡脇屋(現在の群馬県太田市脇屋町)に館があったことから、名字を「脇屋」と称したとのことです。脇屋義助は兄義貞と共に新田荘で挙兵し、鎌倉に攻め上っていきました。
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台源氏館跡(新田義貞生誕地)新田義貞は正安3年(1300年)年頃、当地である現在の群馬県太田市由良町で生まれ、やがて反町館で青年期をむかえ、元弘3年(1333年)5月8日、生品神社で鎌倉幕府打倒の旗をあげたと伝えられています。
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新田氏累代の墓群馬県太田市の円福寺境内にある新田氏累代の墓と伝わる石塔群。20基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの1基には、元亨4年(1324年)に新田義貞の祖父が72歳で逝去したと記されています。..
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冠掛の松群馬県太田市新田木崎町の大通寺境内にある2代目の「冠掛の松」。元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府打倒のため生品神社で挙兵し、鎌倉へ向かう途中、ここの松に冠をかけて休憩したと伝えられています。
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ご神水(冠稲荷神社)承安4年(1174年)、源義経は奥州の藤原秀衡のもとへと向かう途中、この神社へ参籠し、伊勢野で見つけた稲荷神像をこの清水で洗い清めたとのことです。また、自らもこの御神水にて斎戒沐浴したと伝わっているそ..
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金木犀(冠稲荷神社)群馬県太田市の冠稲荷神社境内にある新田義貞所縁と伝わる金木犀。元弘3年(1333年)、新田義貞が挙兵にあたり戦勝を祈願した際に植栽したと伝えられています。樹高約15m、葉振り約15mの大樹です。
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冠稲荷神社天治2年(1125年)、源義国の創建と伝わる群馬県太田市に鎮座する神社。新田義貞が挙兵の際、社の前で兜(冠)の中に神霊を呼び、必勝祈願したことから「冠稲荷」、「冠稲荷大明神」と呼ばれるようになったそう..
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義国供養塔群馬県太田市岩松町に鎮座する義国神社の裏手にある古い供養塔。源義国は新田氏の祖である義重、並に足利氏の祖である義康の父にあたる武将で、晩年は新田に住み、そこで生涯を閉じたと伝わっています。
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義国神社群馬県太田市岩松町に鎮座する源義国を祭神とする神社。源義国は八幡太郎源義家の3男で、新田氏の祖である義重、並に足利氏の祖である義康の父にあたる平安時代の武将です。
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青蓮寺群馬県太田市岩松町にある時宗のお寺で、山号は岩松山、院号は義国院。源義家の3男であり、新田・足利両氏の祖である源義国の開基とされていて、定かではないそうですが、この地が源義国の館跡と云われています。