記事「群馬」 の 検索結果 6002 件
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駒つなぎの松群馬県太田市亀岡町にある「義貞駒つなぎの松」と伝えられている松の木。 元弘3年(1333年)、生品神社で挙兵した新田義貞が鎌倉へ向かう途中、 利根川を渡る前に、乗馬をここの松につないで休憩したと伝..
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新田義重墓源義重は、武家の棟梁として名を馳せた八幡太郎義家の孫で、新田氏の祖。 新田義重は夫人と共にこの地にあった館で晩年を送り、古来よりこの一郭は、 義重夫妻の墓所と伝えられ、徳川幕府により特別に保護され..
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満徳寺群馬県太田市にあった徳川氏の帰依を得たお寺で、2代将軍・徳川秀忠の 娘・千姫が豊臣秀頼と別れた後、縁切のためこの寺に入り、そのことから、 鎌倉の東慶寺とともに縁切寺として知られるようになりました。..
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二体地蔵塚元弘3年(1333年)、鎌倉幕府は新田義貞に対して、他に比べて多額の 税を出させるため、出雲介親連と黒沼彦四郎を送り、税を要求しました。 怒った義貞は出雲介を捕え、彦四郎の首を切り、ここに晒したと..
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清泉寺群馬県太田市世良田町にある、真言宗霊雲寺派のお寺。 新田義重の娘で悪源太義平(源義平)の妻が、この地に庵を結んだのが この寺の起源とされていて、境内には悪源太義平のお墓があります。
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悪源太義平墓悪源太義平は源義朝の長男で、源頼朝・義経らの異母兄にあたる武将。 平治の乱で父源義朝とともに戦い敗れ、六条河原で処刑されましたが、 新田義重の娘がその首を持ち帰り、ここに埋葬し、寺を建立したとのこ..
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宝篋印塔(清泉寺)群馬県太田市世良田町の清泉寺境内にある宝篋印塔。 徳川幕府の8代将軍徳川吉宗の次子田安宗武(田安家の祖)が、 娘誠姫とその婿伊達重村の寿福を願って建立した宝篋印塔とのことです。
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総持寺(太田市)新田氏の館跡に建立されたお寺で、正式名称は威徳山陀羅尼院総持寺。 新田館の主としては、新田一族の祖新田義重居館説、一時期新田氏を 代表した世良田頼氏居館説、新田義貞居館説などがあるそうです。
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梵鐘(総持寺)総持寺は新田館跡に建てられたお寺で、別名を「館の坊」といいます。境内 の梵鐘は関東三大祭の一つとされた世良田祇園の宵宮に、普門寺の梵鐘 と呼応して屋台の曳き下がりの合図に使用されていたとのことです..
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生品神社群馬県太田市新田市野井町にある神社で、国の史跡「新田荘遺跡」の一部。 元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の 綸旨を受け、産土神である生品神社境内で旗揚げをしたと伝..
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矢止之松群馬県太田市新田反町町にある、新田義貞にまつわる伝説の松。 新田義貞が生品神社で旗揚げした際、南方に戦の吉凶を占う鏑矢を 放ったところ、その矢がこの松に当たったと伝わっています。
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反町館跡群馬県の「新田荘遺跡」のうちの1箇所として国の史跡に指定されている 新田荘における代表的な館跡で、現在は照明寺の境内となっています。 新田義貞の居館跡ともいわれ、周囲には堀や土塁が残されています。..