記事「茶道」 の 検索結果 1597 件
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岡倉天心 茶の本 第六章 芸術鑑賞 その1 花なくてどうして生きて行かれよう(k)春の東雲のふるえる薄明に、小鳥が木の間で、わけのありそうな調子でささやいている時、諸君は彼らがそのつれあいに花のことを語っているのだと感じたことはありませんか。 人間について見れば、花を観賞すること..
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その4 真の鑑賞力現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない これに連関して小堀遠州に関する話を思い出す。 遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言っ..
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 その3 暗示の価値暗示の価値 大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。 傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。 ..
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岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 名人とわれわれの間の内密の黙契宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した..
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岡倉天心 茶の本 第五章 その1 芸術鑑賞茶の本 第五章 芸術鑑賞 美術鑑賞に必要な同情ある心の交通――名人とわれわれの間の内密の黙契――暗示の価値――美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による――現今の美術に対する表面的の熱狂は真の..
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岡倉天心「茶の本」 第四章 茶室 その5 重複を避ける人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。 茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。 禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術..
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岡倉天心 茶の本 第四章 茶室 その4 茶室は芸術的精神の聖堂茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。 芸術が充分に味わわれるためにはその同時代の生活に合っていなければならぬ。 それは後世の..
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岡倉天心 茶の本 第四章 茶室 その3 茶室は仮の宿これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。 利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。 紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でな..
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岡倉天心の「茶の本」 第四章 茶室 その2 茶室は簡素で清浄茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこったものである。 禅院は他の宗派のものと異なってただ僧の住所として作られている。 その会堂は礼拝巡礼の場所ではなくて、禅修行者が会合して討論し黙想する道場であ..
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茶の本 第四章 茶室 その1 茶室は芸術作品石造や煉瓦れんが造り建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は建築としての部類に入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家がわが国の..
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茶の本 第三章 道教と禅道 その5 人生の些事の中にでも偉大を考える禅は正統の仏道の教えとしばしば相反した、ちょうど道教が儒教と相反したように。禅門の徒の先験的洞察に対しては、言語はただ思想の妨害となるものであった。仏典のあらん限りの力をもってしても、ただ個人的思索の..
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茶の本 第三章 道教と禅道 その4 南天に北極星を識るの術さて禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調していることがわかるであろう。禅は梵語の禅那(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮である。精進静慮することによって、自性了解の極致に..