記事「蔦屋重三郎」 の 検索結果 72 件
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写楽たちの銭湯 2 正体不明の浮世絵師(承前 「港」は「いりごみ」と読ませます。混浴のことです) 歌舞伎役者の似顔絵を描いた東洲斎写楽の実像について、版元の蔦屋重三郎は何も語っていません。彼の耕書堂には寛政六年に上方から戻って来た十辺舎..
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写楽たちの銭湯 1 異例の抜擢今からざっと二百三十年ほど昔、寛政六年五月、江戸で出版業を手広く行っていた蔦屋重三郎(1750~1797)は歌舞伎各座の五月夏興行の公演に合わせて東洲斎写楽という画号を持つ浮世絵師の作品を一挙に二..
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蔦屋と斎藤十郎兵衛の接点は?江戸の浮世絵版画界で多くの役者絵などを描いて少しは人に知られるようになった東洲斎写楽は、さまざまな資料を集め研究した結果、当時、阿波徳島藩の能役者であった斎藤十郎兵衛という人物ではなかったか、とい..
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蔦屋重三郎2これも新版が出されたね! もっと早くから出さないと…… 転売ヤーのものと思われる中古品が定価の何倍もの価格で売られていたからね! っつ~ことは、出版社は、その分だけ販売機会を逃し..
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商売人気質なプロデューサー「蔦屋重三郎」はかなりやり手!!来年の大河「べらぼう」に合わせて読みました。 鈴木 俊幸さんという研究者が書いた本です。 専門的な話がおおく、素人の私には理解できることのほうが少なかったです(笑) ■流行に敏感..
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吉原と文人 12 蔦屋の妻は本屋の娘(承前 狂歌集『絵本吾妻抉』の挿絵より) 江戸の出版界で活躍した蔦屋重三郎(1750~1797)は吉原の「中」で生まれ育った人だが、遊郭という特別な空間の宣伝広告だけに満足することはなく、常に新しい..
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吉原と文人 1 「からまる」の誕生蔦屋重三郎が江戸の吉原で生まれたのは、1750年の1月7日であった。父は尾張国の出身、母はもともと江戸育ちだったらしいが、両親と一緒に暮らしていたのは誕生から数年足らずであったらしく、幼い柯理(か..
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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』は、ホント、面白い大河ドラマです。なのに一部には、 #大河ドラマべらぼうの打ち切りを求めます なぞと息巻く連中も。今日はその問題に触れましょう先ずは、タイトルともアイコン画像とも関係のない話から。 昨日言ったとおり、朝一番、区役所が開くのを待って、確定申告書の提出をしてたのでありますが、がー。 いえね、込み具合は思ってた程でもなかっ..
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NHK大河ドラマ べらぼう 7話 好機到来『籬(まがき)の花』感想NHK大河ドラマ べらぼう 7話 好機到来『籬(まがき)の花』の感想です。 ネタバレを含みます。 今回は面白かった。 茶屋の主達を前に、吉原の発展について説く蔦屋重三郎(..
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続・酒楽斎 2 蔦屋、南畝とも懇意(承前) 江戸前期の国学者であった今井似関が『本朝神社考』を参考として引用の形で「駿河国風土記」逸文と看做した「三保の松原」の伝承は次のような文言だった。(現在、この文章は古代風土記の逸文とは考え..
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「赤色」を、赤という言葉や、色という言葉を使わずに説明せよ。「赤色」を、赤という言葉や、色という言葉を使わずに説明せよ。 この記事タイトルが、 すなわち「光の君へ」のディティール,,背景となる平安時代です 色を説明するのに、色という概念を使わず説..
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『光る君へ』…は、、見ないかもなぁ(;^ω^)…大河やってましたねぇw久々に見ないかも。(;^ω^) ※ちなみに猫毬は、大河は2~3話,録画でためてから観る派なのでまだ未視聴ですw 別に戦国モノだけを見るってんじゃないですが、、 ..