記事「蔦屋重三郎」 の 検索結果 72 件
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写楽と浮世絵類考 3 学問吟味で復活(承前)田沼政権時、要職に就いていた土山宗次郎(1740~1788)と親交のあった大田南畝ですが、飛ぶ鳥落とす勢いだった土山が公金五百両を横領した罪により天明七年暮れに斬首された後、周囲の者は南畝自身..
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『蔦屋重三郎と江戸の文化を彩った天才たち』拙著『蔦屋重三郎と江戸の文化を彩った天才たち』がもうすぐ発売となります! こちら、もちろん2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の解説本でもあるわけですが、今回は、本書ならではの特..
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写楽と浮世絵類考 2 蔦屋の死が契機に?大田南畝が「浮世絵考証」を脱稿した時期について諸説ありますが、東洲斎写楽の浮世絵版画が江戸で売り出されたのが寛政六年の五月。従って、これより前はあり得ません。また、良く知られている様に写楽の浮世絵..
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北斎と長崎屋 上 シーボルトと面識(多くの人が宿屋に詰めかけている) 嘉永二年四月、九十歳で臨終を迎えようとしていた葛飾北斎(1760~1849)は『天が、後五年の命を与えてくれたなら、必ず真正の画工になることが出来るだろう..
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北斎と蔦屋 下 豊かな画才が開花(承前) 破門された葛飾北斎は既に三十台半ば、たちまち生活に困窮したと思われ、食品の行商をして糊口をしのいだと云う「伝説」も残されています。時間が少し前後しますが、春朗は摺物だけを描いていた訳では..
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北斎と蔦屋 上 勝川派を破門に葛飾北斎は宝暦十年(1760)江戸葛飾本所の割下水で生をうけ、幼名を時太郎といい、後に鉄蔵と改名しています。幼い頃に他家の養子となったものの実子に家督を譲ってからは商家などで奉公、一時彫刻師の下..
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北斎と写楽 4 蔦屋サロン賑わう(承前) 正体不明の浮世絵師・東洲斎写楽が彗星のように登場したのが寛政六年の五月であったことは、別のページ(「写楽・落款の謎」)でも詳しく書いてきましたが、上の表からお分かり頂けるように、この人た..
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北斎と写楽 1 引越し百回、改名頻繁「春朗」(しゅんろう)「宗理」(そうり)の文字を見て、何となく『昔の人の名前だろう』と思う人はあっても「可候」「雷震」が誰かの号だと気づく人は相当、錦絵についての知識がある方に限られることでしょ..
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『八犬伝』がレッドカーペットイベント?(Red Carpet Event of Hakkenden?)『ハーレム主人公達の八犬士』 『ガルパン隊長組の八犬士』 を作るぐらいに、八犬伝には僕はのめりこんでいるんだけど、今月25日に公開される 『山田風太郎版八犬伝』 まさかレッドカーペットイベント..
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ねこねこ日本史15巻発売中!そにしけんじ先生の、大人気コミック『ねこねこ日本史』の最新15巻が発売となりました! 今回は、2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、人気を集めそうな蔦屋重三郎や田沼意..
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児雷也 4 鬼武・十年行方知れず(承前) 読者の皆さんも、写楽研究家たちにとって無くてはならない唯一の同時代資料に『諸家人名江戸方角分』という写本があることはご存知かも知れませんが、その「浅草」の項に「『戯作者』印 鬼武 千光院..
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児雷也 3 写楽と重なる活動時期(承前) さて、自来也の生みの親とも言うべき感和亭鬼武ですが、江戸期の大多数の戯作者がそうであるように、この人も又、その詳しい素性や経歴などが知られていません。幾つかの作品を通して何とか実像の一部..