記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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相馬次郎師常之墓相馬次郎師常は千葉氏の庶流で、相馬氏初代当主となる鎌倉時代の武将。父の千葉常胤と共に源頼朝の挙兵に参加し、源範頼の軍勢に従って各地を転戦したとのこと。また「源平闘諍録」では、頼朝の最初の妻で父伊東祐親..
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浄光明寺鎌倉市扇ガ谷にある真言宗泉涌寺派のお寺。北条氏や足利氏と所縁のあるお寺で、建武2年(1335年)12月、足利尊氏が後醍醐天皇に対し挙兵する直前、このお寺に籠ったと伝わっています。
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藤谷黄門遺跡藤谷黄門(冷泉為相)は、鎌倉時代の公卿・歌人。官位は正二位・権中納言で、冷泉家の祖。父は藤原為家、母は「十六夜日記」作者の阿仏尼。藤谷家の家名は為相が鎌倉の藤ヶ谷に関東における別宅を構えた事に由来する..
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扇谷上杉管領屋敷跡扇谷上杉管領家は4家(山内、扇谷、宅間、犬懸)あった管領家の一つ。太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰でしたが、主君により暗殺されました。その後、扇谷上杉家は川越夜戦で主君が討ち死にをして滅亡しました。 ..
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絵柄天神社大宰府天満宮、北野天満宮と並び、菅原道真公をご祭神とする三天神社の一つ。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を造営したとのこと。学問の神様として、受験シーズンには沢山の参拝者で賑わ..
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源頼朝の墓源頼朝の墓は、大蔵御所があったとされる処の北側の斜面にありますが、元々は法華堂跡にあった墓が島津家により現在地に移されたそうです。石塔には島津家のものである「丸に十の字」の紋が確認されます。
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竹御所墓鎌倉の妙本寺境内にある竹御所(名は、鞠子あるいは媄子)の墓。竹御所は源頼家の娘で一幡の同母妹。公暁の異母妹と考えられていて、33歳で亡くなりましたが、源頼朝の最後の直系子孫だったそうです。
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薩摩屋敷事件戦没者の墓江戸薩摩藩邸焼討事件は、慶応3年12月25日(1868年1月19日)に、三田にあった薩摩藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃、放火され焼失した事件のこと。薩摩藩、幕府方の両軍の戦死者を弔った..
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大塔宮護良親王墓鎌倉にある妙法寺の実質的な開山である日叡上人は、建武の新政の騒乱期に征夷大将軍ともなって活躍した大塔宮護良親王の子で、妙法寺の境内に父の墓をつくりました。なお、大塔宮護良親王の正式な墓は、鎌倉市二階堂..
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松葉ヶ谷御小庵跡日蓮上人が建長5年(1253年)から文永8年(1271年)までの18年間、鎌倉における布教伝道の拠点としたとされる場所。日蓮上人が「立正安国論」を著し、また、松葉ヶ谷法難のあった処ともされていますが、..
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正岡子規歌碑(鎌倉)鎌倉の安国論寺に、正岡子規の「鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」の歌碑があります。正岡子規は、明治20年(1888年)と明治26年(1893年)の2度、鎌倉を訪問。同寺にも足を運び、日蓮..
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南面窟鎌倉の安国論寺境内奥の裏山の山腹にある洞窟。念仏勢力の激しい反発を招いた日蓮上人は、文応元年(1260年)8月27日の夜、松葉ヶ谷の草庵が多数の念仏者によって襲撃されました。その際、白猿に導かれて最初..