記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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魚町橋鎌倉市の大町四ツ角交差点の少し南を流れる逆川に架かる赤い欄干の橋。この橋の近くには、町屋跡の碑も建てられていて、鎌倉の繁栄当時には、商売屋が多く集まり、魚町という小町屋がこの辺りにあったものと思われま..
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町屋跡鎌倉市の大町四ツ角交差点から少し南に行った所に碑が建てられています。この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まっていた所だったそうで、その中央の大通を大町大路と呼んでいたそうです。
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本興寺(鎌倉)鎌倉市大町にある日蓮宗のお寺で 「辻の本興寺」と呼ばれています。日蓮上人の鎌倉辻説法の由緒地に、延元元年(1336年)、日蓮の門弟「九老僧」の一人の天目が休息山本興寺として建立したお寺です。
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下馬(鎌倉)鶴岡八幡宮に参る武士が、この辺で馬から降り た事からの命名だそうです。幕末の元治元年10月22日(1864年11月21日)に、この付近で、英国人士官2名が日本の武士に斬殺された事件、鎌倉事件が起きまし..
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源太塚鎌倉市笛田の佛行寺裏手にある梶原源太景季の腕を埋めたとされる塚。梶原景季は、宇治川の先陣争いで一番乗りを果たすなどの活躍をした武将でしたが、父の梶原景時とともに、鎌倉を追放されて駿河国で敗死しました。..
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梶原景時墓(深沢小学校)梶原氏は坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、大庭氏とともに、後三年の役で武勇を謳われた鎌倉権五郎景政の家系とのことです。鎌倉市梶原の深沢小学校の裏手に梶原一族の墓とされる五輪塔があります。
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泣塔泣塔は鎌倉市寺分、元JR東日本大船工場敷地脇に建つ宝篋印塔の通称。新田義貞の鎌倉攻めの際の洲崎古戦場が付近にあり、塔の背後のやぐらに葬られた戦死者を周辺の住民が弔う為に建てた塔と見られているそうです。..
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流鏑馬馬場鶴岡八幡宮の境内を東西に通り、毎年流鏑馬神事が行われる馬場。この流鏑馬神事の馬場に使用されている道は、その昔には鎌倉道、後の鎌倉街道と呼ばれる道の起点だったと考えられているそうです。
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蓮華寺跡蓮華寺は仁治元年(1240年)に北条経時が建立し、寛元元年(1243年)に材木座に移し、寺の名前を光明寺と改めたと伝えられています。北条時頼が建長3年(1251年)に経時の菩提のために建てたとの説もあ..
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佐介文庫跡佐介文庫は金沢文庫と同じ時代にできたと想像され、北条氏の一族である佐介氏がその家の中に寺と文庫とを建てたようですが、 その作った人、あった場所、規模、存続した期間などの詳しいことは分かっていないそうで..
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宝戒寺鎌倉にある天台宗の寺で「萩の寺」として知られています。歴代の鎌倉幕府執権の屋敷跡で、鎌倉幕府滅亡後に北条高時慰霊のため、後醍醐天皇がその屋敷跡に建立したと伝わっています。
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大慈寺跡鎌倉市を通る金沢街道の明石橋の近くに、大慈寺跡の碑があります。大慈寺は、建暦2年(1212年)に、第3代将軍源実朝が建立したお寺で、勝長寿院の大御堂に対して、新御堂とも呼ばれていました。