記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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鶴岡二十五坊跡鶴岡八幡宮の社役を務める供僧(僧侶)が、八幡宮の北西に設けた二十五の住坊、及びその住持職の総称を鶴岡二十五坊と言ったとのこと。源実朝を暗殺した公暁が隠れた備中阿闍梨の家もここにあったそうです。
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小動岬鎌倉市腰越2丁目にある岬で、八王子山とも呼ばれているそうです。岬には腰越村の鎮守として信仰を集めた小動神社(当時は八王子社)があり、また、幕末には台場が設置され、沿岸の監視に使われていたとのことです。..
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景清窟平氏の侍大将平景清が幽閉されたという牢の跡。平景清は源頼朝の暗殺を企て、東大寺の転害門に隠れていたと伝わっています。横須賀線方面から化粧坂に向かう途中の左側にあります。
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化粧坂鎌倉七口の一つで、現在の扇ガ谷から源氏山公園を結んでいる坂。名前の由来は、平家の大将の首に化粧を施したからとか、この辺りに遊女がいたからなど、諸説あります。
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若宮大路鎌倉の鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで南に向かって真っ直ぐに通っている道。源頼朝が鎌倉入り直後、政子の安産を祈ってつくったと云われています。真中に段葛があり、日本の道100選にも選ばれている道です。
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静の舞「静の舞」は文治2年(1186年)、頼朝の命で鎌倉に召し出された源義経の愛妾静御前が、吉野山で別れてきた愛する義経を偲んで舞ったと伝わる舞。毎年春の鎌倉まつりの中で、鶴岡八幡宮の舞殿で再現されています..
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安部清明大神碑安倍晴明は平安時代に、数々の霊験を現して名声を極めた陰陽師で、鎌倉にも赴いてきたと伝えられ、数カ所に碑が建てられています。鎌倉に建てられている碑では、安倍晴明ではなく安部清明と表記されています。
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太平寺跡鎌倉市西御門にある来迎寺の門前に碑が建てられています。鎌倉尼五山の筆頭として高い寺格を有していましたが、弘治元年(1556年)に発生した里見義弘による鎌倉攻撃の影響を受けて廃寺となったそうです。
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吉田松陰留跡碑鎌倉市二階堂の瑞泉寺山門近くにある吉田松陰の滞在を示す碑。松陰の母方の伯父が瑞泉寺の第25世住職「竹院和尚」で、松陰は寛永6年(1853年)の6月中旬、竹院和尚に会いに瑞泉寺を訪れたそうです。
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杉本寺行基が十一面観音を安置して創建したと伝わるお寺で山号は大倉山。天平6年(734年)の創建と伝わり鎌倉最古の寺といわれています。杉本城の斯波家長が北畠顕家に攻められ、この寺で自害したとのことです。
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釈迦堂切通鎌倉の切通というと鎌倉七口の切通が良く知られていますが、この切通は鎌倉内外を結ぶ道ではないため、その中には入っていません。釈迦堂はこの洞門の北側西方にあったといわれ、字名として残されています。
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新羅三郎墓鎌倉市大町の大宝寺境内にある新羅三郎の墓と伝わる宝塔。新羅三郎とは、源義家の弟の源義光のことですが、近江国の新羅明神で元服したことから新羅三郎と称したそうです。