記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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北条義時墓跡鎌倉の源頼朝の墓から程近く、大江広元などの墓所から下に降った処にある広場の部分。かつて鎌倉幕府の2代執権北条義時の墓があった法華堂跡とされているところで、1辺が8.4mの正方形の形をした「三間堂」があ..
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法華堂跡鎌倉市西御門にある法華堂は、源頼朝が聖観音像を本尊として建立した持仏堂。源頼朝は死後、持仏堂であった法華堂に葬られたと云われています。宝治合戦で、三浦泰村ら一族500名が自害したところでもあります。
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源頼朝の墓源頼朝の墓があるのは、大蔵御所があったとされるところの北側の斜面。元々は、法華堂跡にあったものが島津家により現在地に移されたそうです。石塔には島津家のものである「丸に十の字」の紋が確認されます。
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本覚寺鎌倉にある日蓮宗のお寺、妙厳山本覚寺。日蓮がこの山門付近にあった夷堂を辻説法の拠点としていたとのこと。身延山から日蓮の遺骨を分骨したため、東身延とも呼ばれています。
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蛇苦止堂建仁3年(1203年)の比企の乱で、比企の娘の若狭局は井戸に投身自殺しました。その後、文応元年(1260年)、北条政村の娘が若狭局の霊に祟られたので、政村が若狭局を蛇苦止明神として、この蛇苦止堂に祀っ..
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竹御所墓鎌倉の妙本寺境内にある竹御所(名は、鞠子あるいは媄子)の墓。竹御所は源頼家の娘で、一幡の同母妹、公暁の異母妹と考えられていて、33歳で亡くなりましたが、源頼朝の最後の直系子孫だったそうです。
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北条政子供養塔鎌倉の安養院境内にある北条政子の墓とされる供養塔。安養院の正式名は祇園山安養院長楽寺で、安養院は北条政子の法名。長楽寺は元々は政子が頼朝の菩提を弔うために長谷に建立した寺でした。
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良弁尊観石塔鎌倉の安養院境内の北条政子供養塔の向かって右側にある大きな石塔。長谷にあった長楽寺は焼失し、この地にあった善導寺に統合されましたが、良弁尊観は、その善導寺を建立した僧とのことです。
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妙法寺日蓮が安房より移り住んだ鎌倉の大町の松葉ヶ谷草庵跡とされるところに、大塔宮護良親王と南方の間に生まれた日叡が開山したと伝わるお寺。境内には大塔宮護良親王、南方、日叡の墓があります。
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薩摩屋敷事件戦没者の墓江戸薩摩藩邸の焼討事件は、慶応3年12月25日(1868年1月19日)に、江戸の三田にある薩摩藩の藩邸が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃、放火され焼失した事件のこと。薩摩藩、幕府方の両軍の戦死..
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苔の石段鎌倉の妙法寺境内にある苔の石段。苔が絨毯のように石段を覆い、その美しさからこの妙法寺は「苔の寺」とも呼ばれています。なお、苔を保護するためにこの石段は使用不可で、脇を通る別な石段を上ると護良親王の墓な..
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大塔宮護良親王墓鎌倉にある妙法寺の実質的な開山である日叡上人は、建武の新政の騒乱期に征夷大将軍ともなって活躍した大塔宮護良親王の子で、妙法寺の境内に父の墓をつくりました。なお、大塔宮護良親王の正式な墓は、鎌倉市二階堂..