記事「鎌倉」 の 検索結果 13094 件
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祇園山見晴台鎌倉の祇園山ハイキングコースの祇園山にある展望台。ここから鎌倉市街、 由比ヶ浜を見渡すことができます。八雲神社の奥にあるこの山は、八雲神社 が京都の祇園社から祭神の分霊を勧請したことからの呼び名だ..
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新羅三郎手玉石新羅三郎は源頼義の三男、源義家の弟で、近江国の新羅明神(大津三井 寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎と称したとのこと。新羅三郎が 勧請した鎌倉の八雲神社に「新羅三郎手玉石」なる石があります。..
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八雲神社鎌倉の大町にある1083年創建の鎌倉最古と云われている厄除け神社。 源義家の弟・源義光が京都の祇園社から祭神を分霊して祀り祈願したところ、 疫病が鎮まり、厄除け開運の神社として知られるようになった..
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妙本寺妙本寺のあるところは比企谷と呼ばれ、比企一族の館のある処でしたが、 館は北条氏の軍勢に攻められ、比企一族はこの地で滅亡。一族の菩提を 弔うために、比企能員の末子・比企能本が法華堂を建立したのが始ま..
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一幡袖塚鎌倉の妙本寺にある、焼け跡の中から僅かに見つかったという袖を祀る塚。 一幡は二代将軍源頼家の息子で、将来の将軍候補でしたが、北条氏の軍勢 に攻められて、屋敷のあったこの地で焼死したと伝わっています..
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蛇苦止の井建仁3年(1203年)、北条氏の軍勢は比企館を急襲して比企一族は滅亡。 2代将軍頼家側室の若狭局は、家宝を抱えてこの井戸に投身自殺し、蛇身 となった若狭局は、今でも井戸の中で家宝を守っていると伝わ..
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智岸寺稲荷鎌倉市の扇ガ谷、英勝寺の先にある阿仏尼卵塔に並んで鎮座する稲荷社。 寛永13年(1636年)に英勝寺が創建される以前、この地には智岸寺があり、 英勝寺の創建後、やぐらを利用して稲荷祠が置かれたと考..
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阿仏尼墓鎌倉市の扇ガ谷、英勝寺の先にあるやぐらが阿仏尼の墓と伝わっています。 阿仏尼は弘安2年(1279年)、相続問題を幕府に訴えるため鎌倉へ下り、 このときの紀行と鎌倉滞在のことを記したのが「十六夜日記..
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底脱の井鎌倉市扇ガ谷の海蔵寺の門前にある井戸で、鎌倉十井の一つ。安達泰盛 の娘(千代能)が水を汲んだところ、水桶の底が抜け、その瞬間、千代能の 心の底が脱け、解脱を得たことがこの井戸の名の由来とのことです..
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海蔵寺鎌倉市扇ガ谷にある臨済宗建長寺派のお寺で、山号は扇谷山。建長5年 (1253年)に、宗尊親王の命により藤原仲能が創建。鎌倉幕府滅亡時に 焼失し、応永元年(1394年)に再興されたとのことです。
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薬王寺鎌倉市扇ヶ谷にある日蓮宗のお寺で、かつては、梅嶺山夜光寺と称し、 真言宗の寺院でした。日蓮の弟子日像により日蓮宗に改宗、さらにその後、 徳川忠長室松孝院の援助で僧日達が再建し、薬王寺と改称したそう..
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徳川忠長供養塔鎌倉扇ガ谷の薬王寺にある、駿河大納言徳川忠長の供養塔。徳川忠長は、 徳川家康の孫で、徳川秀忠の三男。寛永10年(1634年)12月6日、幕命 により高崎の大信寺において自刃しました。