記事「鎌倉」 の 検索結果 13097 件
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長寿寺鎌倉市山之内にある臨済宗建長寺派のお寺で、正式には宝亀山長壽寺。 鎌倉公方の足利基氏が、父尊氏の菩提を弔うために建立したと伝えられ、 境内には足利尊氏の遺髪を埋めたと伝わる五輪塔があります。
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向陵塚鎌倉の東慶寺の境内にある旧制第一高等学校の記念の塚。第一高等 学校のOBたちが昔の寮生活を通じて互いに切磋琢磨した時代を懐かし み、昭和52年(1977年)にこの碑を建立したとのことです。
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小動神社鎌倉市腰越の江ノ電腰越駅からすぐ近の所にある、小動岬に鎮座する神社。 源平合戦の際、佐々木盛綱が近江国の八王子宮を勧請したものと伝えられ、 元弘3年(1333年)には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈..
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三浦一族の墓源頼朝の墓の東方の山腹にあるやぐらが、三浦一族の墓所と伝えられてい ます。有力御家人三浦氏は執権北条氏と対立して、宝治元年(1247年)の 宝治合戦で敗れ、三浦一族と与党500余名は自刃して果てた..
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島津忠久墓鎌倉の源頼朝の墓の裏手の山腹にある3つ並ぶやぐらの中の一つ。島津忠久 は鎌倉幕府御家人で、島津氏の祖。正式には惟宗忠久。島津家に伝わる史料 では、忠久は頼朝の落胤(隠し子)となっているようです。
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大江広元墓源頼朝の墓のすぐ近くの斜面にある大江広元の墓と伝わるやぐらですが、 長州藩が江戸時代につくったもので、広元の墓とする根拠はないそうです。 大江広元は初代政所別当を務め、因幡毛利氏の祖とも云われてい..
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毛利季光墓鎌倉の源頼朝の墓の裏手の山腹に並ぶ、3つのやぐらの中の一つ。毛利 季光は、鎌倉幕府の政所初代別当を務めた大江広元の4男で、父の所領 のうち相模国毛利庄(厚木市)を相続し、毛利氏の祖となった人物です..
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源氏山公園「源氏山」の名は、麓に源氏の屋敷があったからとする説が有力とのこと。 後三年の役の折、奥州に向かう八幡太郎義家がここに源氏の白旗を立て て戦勝を祈願したことから、「旗立山」の別名もあるそうです。
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乱橋(鎌倉)鎌倉市材木座、大町四ツ角から九品寺に向かう途中にある橋の跡。元弘3年 (1333年)、新田義貞の鎌倉攻撃の際、防戦する幕府軍がこの橋の辺りで乱 れ始めたため、乱橋という名がついたという云い伝えがあ..
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和賀江島相模湾東部の材木座海岸沖、鎌倉市と逗子市の境界に位置する人工島。 貞永元年(1232年)に竣工した現存最古の港湾施設で、かつては、南宋 などから船が来港していた可能性もあり、国の史跡に指定されてい..
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六角の井鎌倉市と逗子市の境にある井戸で、別名は矢ノ根井、鎌倉十井の一つ。 井戸は八角形で鎌倉側に六角、小坪側に二角あることから「六角ノ井」。 また、伝説によると、源為朝の放った矢がこの井戸に落ちたそうです..
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鎌倉国際交流フェスティバル鎌倉の高徳院の境内で行われるフェスティバル。鎌倉市が主催するもので、 国際協力や国際交流に関わる市民団体が集まって、日頃の活動等を参詣 に来る観光客や鎌倉市民にアピールするのを目的する催しとのこと..