記事「長野市」 の 検索結果 850 件
-
戸部城(富部城)跡戸部城(富部城)は、かつて長野市川中島町御厨にあった戸部(富部)氏の居館跡といわれております。 写真は、御厨本町組公会堂の南から撮影しました。 城地は更級斗女神社の西に位置し、..
-
相木城跡相木城は、かつて長野市三輪にあった城です。写真は土塁の跡で、この奥に長野女子高等学校があります。 相木城には、武田晴信(武田信玄)の家臣である相木市兵衛が居城していたといわれる説と、..
-
小島古城(砂田城)跡小島古城(砂田城)は、かつて長野市小島にあったといわれる城で、小島氏の居城であったといわれております。 小島氏に関し文献では、応永7年(1400年)の大塔合戦に村上満信に従って、小島..
-
駒沢城跡駒沢城は、かつて長野市上駒沢寺浦にあった城で、駒沢氏の居城でした。 足利尊氏方の駒沢刑部は、暦応2年(1339年)にこの辺りを領地とし、居城としていたといいます。 その後、駒..
-
象山神社象山神社は、長野市松代町松代にある神社です。 大正2年、佐久間象山の同郷・松代出身である横田秀雄元大審院長が中心となって、神社の建立を計画、各関係機関の協力により昭和13年11月に、..
-
篠ノ井追分宿篠ノ井追分宿は、かつて長野市篠ノ井塩崎にあった間宿でした。篠ノ井追分は、南北に北国街道、西に北国西脇往還(善光寺西街道)の分岐点となっておりました。 間宿(あいのしゅく)を少し説明い..
-
押鐘氏・押金氏の起源に関して平成19年 5月14日に更新しました「押鐘城跡」の記事について、ここを居城にしておりました多田氏・押鐘氏についての情報を補足いたします。 「押鐘城跡」の記事の上の方で、「押鐘城は最初、大永年..
-
千田氏城跡(千田城跡)千田氏城(千田城)は、かつて長野市稲葉中千田にあった千田氏の居城でした。 写真左・中千田交差点手前より撮影 写真右・瑠璃光寺に至る道より撮影、写真右側が城地と考えられます。 千..
-
松代駅松代駅は、長野市松代町松代にある長野電鉄屋代線の駅です。単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線、留置線のある駅です。 [駅名称] 大正11年 6月に長野電鉄の前身「河東鉄道」の..
-
旧松代藩鐘楼旧松代藩鐘楼は、長野市松代町松代にあり、最初の鐘楼は、寛永元年(1624年)に設けられました。 この鐘は、昼夜問わずに二時間(一時(いっとき))ごとに撞いて、時刻を知らせておりました..
-
平林城跡平林城は、かつて現在の長野市西和田にあった城で、城地は現在、JR東日本長野工場となっております。 平林城は、東に本丸、西に二の丸、本丸と二の丸の間には内壕、城の周囲には外壕のある城で..
-
宇木城跡宇木城は、かつて現在の長野市三輪10丁目(上宇木)にあった居館で、周辺にお住まいの方からは、「城の山」といわれていました。「城の山」は約800平方メートルの範囲であったといいます。 ..