記事「長野」 の 検索結果 8449 件
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龍岡城東通用門龍岡城は慶応3年(1867年)、龍岡藩主・松平乗謨によって佐久に築かれ た星形の城郭で、函館の五稜郭と並び、日本に2つしかない五稜郭です。 東通用門が参道にぴんころ地蔵のある成田山薬師寺に移築されてい..
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伴野城跡長野県佐久市野沢にある鎌倉時代以来の伴野氏の館跡、後の野沢城の本丸にあたる地域で、周囲には堀の名残と思われる水路が巡っています。 水路と共に土塁跡でも囲まれた平地は、現在は城山公園として整備されていま..
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鏡石武田信玄が重臣の山本勘助と馬場信房に命じて、それまでにあった鍋蓋、 乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせたのが小諸城の原型とのことです。 小諸城本丸跡には山本勘助が築城時に研磨したと伝わる鏡石がありま..
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小諸城跡(懐古園)小諸城は武田信玄の東信州経営のために縄張りされた城で、酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城、などの別名を持ち、日本100名城の28番に選定されています。現在は、市営公園小諸城祉懐古園として整備されています。
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憩石慶長5年(1600年)、関ヶ原に向かう途中の徳川秀忠を大将とする徳川本隊は、上田城に籠る真田氏を討伐するため小諸城を本陣としました。その在陣中に、徳川秀忠が床几として使用した石と伝えられています。
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本陣跡(海野宿)北国街道が開削された寛永2年(1625)当時は、本宿は田中宿で、本陣は 田中宿のみに設けられていたそうです。しかし、寛保2年(1742年)の大洪水で 田中宿が大被害を受け、海野宿に本陣が設けられたとの..
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海野宿寛永2年(1625年)に、江戸幕府によって設置された、北国街道の宿場。 約650 mにわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の輸送、善光寺への参拝客などで非常に賑わいをみせていた..
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白鳥神社長野県東御市本海野に鎮座する神社。日本武尊が東夷東征の際、当地に滞在した故事から、尊の御霊を勧請したのが始まりと伝えられています。 また、木曽義仲が武将3千騎を集め挙兵した白鳥河原はこの社前だったそう..
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海野氏発祥の郷海野氏は信濃国小県郡海野荘(現在の長野県東御市本海野)を本貫地とした武家の氏族で、真田氏は海野氏の支流と云われています。 平安時代から根津氏、望月氏と並んで「滋野三家」と呼ばれていたそうです。
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木曽義仲館跡(依田館)上田市御嶽堂にある木曽義仲の実質的な挙兵の地と言われているところ。 治承4年(1180年)9月、木曽で挙兵した木曾義仲は、この依田館に入城し、 翌年、白鳥河原に三千余騎を集め北陸方面へと進出していきま..
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御嶽神社上田市御嶽堂に鎮座する神社で、ご祭神は、大己貴命、少彦名命、安閑天皇。 創祀年代は不詳ですが、一説には、木曽義仲が「王の御嶽」として信仰していた木曾の御嶽山の神(大己貴命・少彦名命)を祀ったと伝わって..
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義仲馬大門長野県上田市御嶽堂の宝蔵寺(岩屋観音堂)は依田城にも近く、 木曽義仲が挙兵の際、ここで戦勝祈願をしたとされています。その戦勝祈願の際に、義仲が馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれています。