記事「長野」 の 検索結果 8398 件
-
松本市旧司祭館松本市に残る明治時代の洋式住宅。松本カトリック教会の宣教師用住居として松本城内三の丸の大名屋敷があった地蔵清水に建設されましたが、 平成3年(1991年)に、現在の旧開智学校の隣地に移築復元されました..
-
旧開智学校長野県松本市開智に残る洋風建築の校舎。明治9年(1876年)4月に竣工し、 昭和38年(1963年)3月まで約90年間使用された日本で最も古い小学校の一つである開智学校は、 文明開化時代の小学校建築を..
-
福島宿中山道37番目の宿場町で関所が設けられ、古くから栄えてきた町です。昭和2年(1927年)の大火でほとんどが焼失してしまいましたが、再建された家が板葺屋根形式で重石を載せた家でしたので、その面影は残され..
-
高札場(福島宿)高札場は幕府や諸藩等が法令等を掲示するために、往来の激しい地点、大きな橋の袂、町や村の入り口や中心部などに設置していたそうです。木曽福島宿にも、高札場が復元されていて、往時を偲ぶことができます。
-
山村代官屋敷山村家は木曽谷の徳川直轄地の支配を任されていた代官家。福島関所の関守を兼ねていた山村代官家の下屋敷の一部と庭園が現存していて、山村家の文化資料、著書、調度品などとともに公開展示されています。
-
木曽家代々之墓興禅寺は長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派のお寺で、 木曽義仲の追善供養のため、木曾氏が創建したと伝わっています。興禅寺の境内には木曽家代々之墓があります。
-
木曽義仲墓(興禅寺)長野県木曽郡木曽町の興禅寺境内に木曽義仲の墓があります。木曽義仲は寿永3年(1184年)、琵琶湖畔の粟津で敗死しましたが、この墓には死の直前、義仲が巴御前に託した遺髪が納められているそうです。
-
遠藤五平太生家跡遠藤 五平太は現在の長野県木曽郡木曽町福島で生まれた幕末の武士。中西派一刀流の剣術家で、五平太の弟子は約800人にのぼり、信濃だけでなく飛騨や美濃東部、尾張からも入門者がいたそうです。
-
高瀬家資料館高瀬家は現在の木曽郡木曽町にある島崎藤村の姉、園が嫁いだ旧家で、島崎藤村の小説「家」のモデルになっていることで知られています。現在は藤村、関所番などに関わる資料を展示する資料館となっています。
-
福島関所資料館中山道のほぼ中間に位置し、街道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まった重要な関所が日本四大関所の一つである福島関所。この資料館は往時の姿を忠実に復元し、多数の資料が展示されています。
-
巴御前像(徳音寺)巴御前は軍記物の中で木曾四天王とともに木曽義仲の平氏討伐に従軍し、源平合戦で戦う大力と強弓の女武者として描かれている女性。中原兼遠の娘であり、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、木曽義仲の妾とされています。
-
木曽義仲墓(徳音寺)長野県木曽郡の木曽義仲の館跡であり、また旗挙の地とされている旗挙八幡宮の近くにあるのが徳音寺。木曽義仲一族の菩提寺である徳音寺の境内には、木曽義仲とその一族の墓があります。