記事「長野」 の 検索結果 7848 件
-
佐久間象山像(象山神社)長野市松代町に鎮座する象山神社の鳥居前にある佐久間象山の像。 佐久間象山は江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家で、同じ松代出身の、山寺常山、鎌原桐山、と共に松代三山の一人とされています。
-
横田城跡養和元年(1181年)、此処にあった横田城に木曽義仲軍を鎮圧 するため、越後から圧倒的な大軍を率いて城氏が入城したとされています。 しかし、寡兵の木曽義仲側の奇策によって敗走したそうです。
-
観音寺長野県長野市篠ノ井横田にある真言宗豊山派のお寺。 横田河原の合戦や大塔合戦の頃は、千曲川岸の近くにあり自然堤防上に位置するこの辺りに「横田砦」が存在したとする説があるそうです。
-
上田城天正11年(1583年)、武田氏の旧臣である真田昌幸による築城。 二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことでで有名。 現在は上田城跡公園として市民に親しまれています。
-
市村神社市村の産土神で、口碑では文治年間(1185~90年)の創建とのことです。 木曽義仲が関与した記録に初めて残る戦いである治承4年(1180年)9月7日に起きた市原合戦は、このあたりで行われたと伝わってい..
-
今井兼平墓(川中島)長野市川中島の今井神社の隣接地にある今井四郎兼平の墓。 今井 兼平は義仲四天王の一人で義仲に従い各地を転戦しましたが、 元暦元年(1184年)正月、琵琶湖の畔の粟津で義仲とともに敗死しました。
-
今井神社(長野市)今井兼平を祀った神社で今井兼平の館跡との説もあります。 今井兼平は義仲四天王の一人で、木曽義仲に従って横田河原の戦いに 出陣し、当時「雲井の里」と呼ばれていたこの地に陣を張ったとのことです。
-
木曽義仲挙兵の地木曽義仲は、治承4年(1180年)義仲が27歳の時、木曽で挙兵したということですが、その後、依田城で兵を蓄え、ここから京を目指して出陣しました。 依田城跡周辺には木曽義仲に纏わる史跡も多く、挙兵の地と..
-
依田城跡長野県上田市御岳堂にある山城跡で、山頂は標高804.6m。 平安時代末期の治承4年(1180年)、木曽義仲 の挙兵にあたり、 依田次郎実信は木曽義仲にこの城を明け渡したと伝わっています。
-
根井行親供養塔長野県佐久市の正法寺境内にある木曽義仲四天王の一人である根井行親の供養塔。 根井行親は義仲が治承4年(1180年)に信濃国の依田城で挙兵して以降義仲に従い各地に転戦し、宇治川の戦いで敗死したとされてい..
-
根井氏居館跡長野県佐久市根々井字亀田の正法寺が根井氏居館跡と伝わっています。 根井氏は滋野氏の一族である望月氏の支流と云われ、 根井行親は木曽義仲の四天王の一人と数えられています。
-
龍岡城址元治元年(1864年)築城開始、慶応3年(1867年)完成の西洋式城郭。 函館五稜郭と同じく五芒星形の城で、龍岡五稜郭とも呼ばれています。 城跡は現在、佐久市立田口小学校として利用されています。