記事「長野」 の 検索結果 7848 件
-
盾六郎親忠館跡楯親忠は根井行親の六男。義仲四天王の一人として数えられ、 義仲に従って横田河原の戦いや倶利伽羅峠の戦いなどで活躍しました。 宇治川の合戦に父・行親と共に参戦、六条河原で討ち取られたとのことです。
-
上田原古戦場上田原の戦いは、天文17年(1548年)2月14日に信濃国上田原で行なわ れた、甲斐国の戦国大名武田晴信(後の信玄)と北信濃の戦国大名村上義清との戦い。 武田晴信はこの合戦で重臣と多くの将兵を失い、初..
-
真田幸村像(上田駅前)現在の長野県上田市にある上田城は真田氏の重要な拠点であった城。 真田信繁(幸村)は上田城で徳川軍からの二度に亘る攻撃を退けました。 その後、真田信繁は大坂夏の陣で、その最期まで徳川軍と戦い抜きました。..
-
真田氏本城跡長野県上田市真田町にある山城跡。真田氏は真田信繁(幸村)の父である 真田昌幸の代に上田城に移りましたが、その以前、3代に亘り本城としていたとされるのがこの城。 真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城..
-
御屋敷公園真田氏が上田城を居城とする前に住んでいたといわれる居館の跡。 山城の真田氏本城が真田氏の居城でしたが、日常生活は山城ではなく、 この平地にある居館で営んでいたといわれているそうです。
-
宝輪寺松本市今井にある厄除けの寺として知られる高野山真言宗のお寺。 安元・治承の頃、今井に住した今井四郎兼平が、このお寺の荒廃を歎いて 祈願寺として再建し、自ら中興の開基となったと伝えられています。
-
今井神社長野県松本市今井地区に鎮座する神社で、続麻神社と合祀されています。 社伝によると、この地はもと、今井兼平の館のあった処で、社の前の道は、 兼平の尊崇した西洗馬薬師堂への参詣道であったと伝わっているそう..
-
高島城長野県の諏訪湖畔にあり諏訪の浮城とも呼ばれる日本三大湖城の一つ。文禄元年 (1592年)から慶長3年(1598年)にかけて日根野高吉が築城。江戸時代 には諏訪藩の政庁でもあり藩主の居所でもあったそうで..
-
吉良義周墓吉良義周は吉良上野介義央の孫にして養子でもあった人物で、松の廊下の刃傷事件の後、吉良義央のあとを継いで吉良家の 当主となりました。しかし、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件のため改易されてしまい、その後、信..
-
法華寺諏訪大社上社本宮の神宮寺として栄えたのが、現在は臨済宗の法華寺。 天正10年(1582年)の織田信長の甲斐侵攻の際、信長は法華寺に本陣を置きましたが、 ここで明智光秀を折檻したのが本能寺の変の発端とな..
-
雷電為衛門像雷電爲右エ門は信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市)出身の 元大相撲力士で、大相撲史上未曾有の最強力士とされています。 諏訪大社上社本宮境内に、矢崎虎夫作(文部大臣賞受賞)の像があります。
-
胴合橋長野市篠ノ井杵淵の信州そば蔵長野店に隣接してある小さな橋。 第4次川中島の戦いで、武田信玄の軍師である山本勘助は戦死。その戦死した山本勘助の首と胴を合わせたという伝説の場所です。