記事「青森」 の 検索結果 7131 件
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厩石伝説によると、平泉を脱出後、蝦夷を目指してこの地に来た源義経は3頭の龍馬に助けられ、無事に蝦夷に渡ることができたとのことです。その3頭の龍馬の厩がこの岩で、三厩という地名の由来とも云われています。
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平沢第1露営地青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日。当初の予定では1泊2日の行軍で、この日の宿泊予定地は田代温泉。しかし、悪化した天候のために行軍は難航し、やむなくこの地で露営..
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鳴沢第2露営地八甲田山雪中行軍に挑んだ青森歩兵第5連隊の2日目の露営地。第1露営地からは直線にして僅か700m移動しただけの位置で、食料も凍結していて食べられず、ここで多くの将兵が凍死したとのことです。
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後藤伍長像後藤房之助は宮城県出身で青森第5連隊の伍長として雪中行軍に参加。遭難4日目の1月27日午前10時頃、仮死状態で発見されました。この像は全国からの将校の寄付により制作されたものとのことです。
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中の森第3露営地跡青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分。八甲田山に入って3日目の1月25日の露営地がこの付近。この時すでに、死者・行方不明者合わせて70名以上になって..
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後藤伍長発見の地青森歩兵第5連隊が駐屯地を出発したのが明治35年1月23日の早朝。その後、同連隊は雪の八甲田山中を彷徨して遭難。1月27日10時半頃、雪中に佇立している後藤伍長がここで発見されました。
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田茂木野田茂木野は八甲田山に向かう途中にある村で、八甲田山雪中行軍を実施した青森歩兵第5連隊も通過したところです。遭難事故発生後、此処には遺体安置所が設置されました。
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遭難凍死者英霊塔幸畑墓苑(旧幸畑陸軍墓地)の隣接地にある雪中行軍遭難者の慰霊塔。 遭難者の捜索には2匹のアイヌ犬が活躍しましたが、そのうちの1匹が 子犬を2匹出産し、「八甲」「ベンケイ」と名付けられ、狛犬となっていま..
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幸畑陸軍墓地八甲田山雪中行軍で遭難死した青森第5連隊の将兵199名の眠る墓地。明治8年(1875年)にこの地に陸軍墓地が造営され、青森第5連隊も八甲田山に向かう途中で、この墓地にお参りをしたそうです。
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青森歩兵第五連隊正門青森歩兵第5連隊は、明治11年(1878年)5月1日にこの地に創立。日露戦争に備えての耐寒訓練を実施し、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分にこの営門から八甲田山へと向かいました。そして深..
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十和田湖秋田県と青森県にまたがる美しい湖で、十和田八幡平国立公園の中にある日本を代表する観光地。十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖で、現在も活火山に指定されています。和井内貞行のヒメマス放流の話でも有..
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十和田湖遊覧船十和田湖には、子ノ口と休屋の2カ所に国の地方港湾に指定されている港があり、この2港をつなぐコースと、休屋から出港し休屋に戻って来るコースの2コースの遊覧コースがあります。どちらのコースも所要時間は約5..