記事「静岡」 の 検索結果 9462 件
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徳川家康公御殿土塁跡現在の御殿場高校から吾妻神社・穂見神社にかけての一帯が「御殿場」の地名の由来ともなった徳川家康の御殿のあった所と伝えられています。吾妻神社の境内には、その御殿の土塁跡と思われるものが残されています。
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地名「御殿場」発祥の地元和元年(1615年)、徳川幕府は家康が江戸~駿府を往復する際の宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。その「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。
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深沢城跡深沢城は現在の静岡県御殿場市にあった戦国時代の城で、深沢氏の城館を16世紀初頭に今川氏親が深沢城として築城したそうです。今川氏、後北条氏、武田氏、徳川氏が入れ替わりに支配した城です。
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陣場南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県小山町竹之下周辺で足利尊氏勢と新田義貞勢の間で合戦が行われました。官軍の先手がここに布陣したとのことで「陣場」の石柱が建てられて..
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釜沢南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県小山町竹之下周辺で足利尊氏勢と新田義貞勢の間で合戦が行われました。 その際、湧き水があり、ここで官軍が兵糧を炊いたとされる場所で..
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千束橋建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県小山町竹之下周辺で行われた竹之下合戦の際、官軍が退くときに橋を落とした為、足利軍は薪を千束投げ入れて橋の代わりとして渡ったと伝わるところです..
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金太郎像足柄山の金太郎として有名な金太郎伝説は、現在の神奈川県南足柄市から静岡県駿東郡小山町にかけて様々に伝わり、金太郎の像も点在しています。この写真の像はJR足柄駅の駅前広場にある像です。
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竹之下古戦場竹ノ下の戦いは南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、足利尊氏と新田義貞の間で、現在の小山町竹之下周辺で行われた合戦。足利尊氏が新田義貞(官軍)を破り、この結果、建武政権は崩壊しま..
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渡り上り南北朝時代の建武2年12月11日(1336年1月24日)に、現在の静岡県小山町竹之下周辺で行われた竹之下合戦で、官軍側は敗れて敗走。二条為冬が退陣する際、川を渡って所領部落に向かった場所とされいます。..
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芭蕉句碑(源太坂)静岡県富士市今泉の源太坂にたつ松尾芭蕉の句碑。 「 目にかかる 時やことさら 五月富士 」五月という雨の多い時期に、富士山が見えたということを詠んでいるそうです。
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浄瑠璃姫墓平泉へ向かう途中の源義経は矢作の里で長者の娘と恋仲になりました。義経はその娘(浄瑠璃姫)と別れ旅立ちましたが、娘は義経の後を追い、追いつけず、菅生川に身を投じて17歳という短い人生を終えたとのことです..
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吹上の六本松静岡市立蒲原中学校正門前に「浄瑠璃姫碑」と並んで碑が建てられています。義経を慕うその願いは叶わず浄瑠璃姫は亡くなりましたが、浄瑠璃姫を葬った塚の上に、目印として植えられたのが吹上の六本松と伝わっていま..