記事「静岡」 の 検索結果 9462 件
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義経硯水承安4年(1174年)、源義経が奥州に下る途中、涌き水を使って蒲原神社へ奉納する文と、三河矢矧の長者兼高夫婦の娘浄瑠璃姫に文を書いたことから、涌き水は「義経硯水」と呼ばれるようになったということです。..
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伊東家館跡伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘を本貫地としていた豪族で、藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。館跡は現在物見塚公園として整備され、伊東祐親像が建てられています。
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伊東祐親像伊東祐親は平安時代末期の河津祐親とも呼ばれた伊豆地方の武将。伊東荘を工藤祐経から奪い、これが曾我兄弟の仇討ち事件の原因となりました。石橋山の戦いで源頼朝に敵対し、後に捕えられ自害して果てたとのことです..
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伊東祐親墓伊東祐親は源頼朝の挙兵直後の石橋山の戦いで源頼朝軍を撃破。しかし、その後の富士川の戦いの後捕らえられ、一時は一命を赦されましたが祐親はこれを潔しとせず、自害して果てたと伝わっています。
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河津三郎祐泰墓静岡県伊東市にある東林寺は、伊東祐親が河津祐泰の菩提を弔う為に自らの法名をとり寺号を東林寺としたお寺ですが、その東林寺に河津三郎祐泰の墓と河津三郎の子の曽我兄弟の墓があります。右から順に、曽我五郎、曽..
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岡橋静岡県伊東市の市街地を流れる松川に架かる橋で、この橋を渡って源頼朝 が音無の森に行き、八重姫と密会をしていたと伝わっています。橋の欄干に は、源頼朝と八重姫が手と手をとり合う姿が描かれていま..
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音無神社静岡県伊東市に鎮座する豊玉姫命をご祭神とする神社。伊豆国の蛭ヶ小島に流された源頼朝が、伊東祐親の娘八重姫と恋仲になり、愛し合う二人が密かに会っていた場所がこの神社だと伝わっています。
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おとどいの橘源頼朝と伊東祐親の娘八重姫との子の千鶴丸は、祐親の家来によって松川の上流の稚児ヶ淵に重石をつけて沈められてしまいました。その時、家来が千鶴丸に握らせたのがこの橘の木の枝と伝わっています。
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産衣石源頼朝と八重姫の児の千鶴丸は伊東の八代田の川(稚児ヶ淵)に石をつけて沈められてしまいましたが、その後、富戸の海岸に流れ着きました。地元の漁師がその遺体をこの石の上に安置して懇ろに葬ったとのことです。
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富戸三島神社の橘源頼朝と八重姫の子である千鶴丸が伊東の稚児ヶ渕に重石をつけて沈められるときに、火牟須比神社(鎌田神社)の境内にあった橘の小枝を両方の手に握らされたと伝わっています。その橘の小枝がこの神社の社前に植えら..
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河津三郎祐泰血塚河津三郎祐泰は工藤氏の流れをくむ伊東祐親の子で曾我兄弟の父。安元2年(1176年)10月、所領争いにより祐泰は伊豆の奥野の狩場で工藤祐経に矢を射られて落命しました。その曽我兄弟の仇討ち物語の発端となっ..
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本多肥後守忠真顕彰碑本多忠真は徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将。三方原の戦いで武田軍に大敗した中、撤退に際し殿を買って出て、39歳をも ってこの地で討ち死にしたと伝えられています。