記事「静岡」 の 検索結果 9462 件
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工藤佑経墓伊東荘の領地争いから曽我兄弟の親の仇になったのが工藤佑経。建久4年(1193年)、富士の裾野の巻狩りの最終日の5月28日深夜、工藤佑経は、曽我兄弟により、兄弟の父・河津祐泰の仇として討たれました。
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曽我の隠れ岩静岡県富士宮市の白糸の滝、音止めの滝の近くにある岩。曽我兄弟は親の仇の工藤祐経を終にこの地で討つことになりますが、このとき兄弟は、この岩に隠れて仇討ちの密談をしたと伝わっています。
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下田湾伊豆半島の南端近くにある湾で、下田港は江戸時代から江戸に向かう船舶の寄港地として繁栄し、毎年3千隻の千石船の入港があったそうです。日本で最初の開港場となり、ペリー艦隊の黒船も下田湾に錨を下ろしました。..
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ハリスの小径初代駐日米国弁理公使であるハリスが日米通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、望郷の思いにふけりながら歩いたといわれる下田湾沿いの道。この先の福浦まで続くので、福浦遊歩道とも呼ばれているそうです。
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玉泉寺本堂静岡県下田市にある玉泉寺は幕末期に我国初のアメリカの総領事館となり、ハリス以下10名の生活するところとなりました。本堂の裏には、「ストーブの煙突を出した石」が、今でも残されています。
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吉田松陰偶奇処嘉永7年(1854年)、ペリーが再航した時に密航を計画した吉田松陰は、弟子の金子重之輔と二人で下田に潜伏して機会をうかがっていました。その時、医師の村山行馬郎に匿われ、ここに身を寄せていたとのことです..
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お吉が淵唐人お吉が身を投げて自殺した場所とされている稲生沢川の淵。唐人お吉(斉藤吉)はハリスのもとに出仕したことがもとで、身を持ち崩し、明治23年(1890年)3月27日、稲生沢川門栗ヶ淵に身を投げ自殺しまし..
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松崎港伊豆半島の松崎町にある西伊豆地区の玄関口となってきた港。伊豆半島西海岸は陸路の交通が不便なため、古くから海運が発達し、中世には伊豆水軍の渡辺氏の船溜として利用されていたそうです。
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足利茶々丸墓静岡県伊豆の国市の願成就院境内にある足利茶々丸の墓。茶々丸は初代堀越公方である足利政知の子で、父の死後、内紛の末に家督を相続しましたが、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて転戦の果てに自殺しました。
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八重姫御堂八重姫は伊東祐親の三女で、父に源頼朝との仲を裂かれてしまいましたが、頼朝のことが忘れられず、侍女と共に韮山の頼朝の所へと訪ねていきました。しかし、頼朝と会うこともできず、八重姫は真珠ヶ淵に身投げしたと..
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八重姫主従七女之碑伝承によれば、頼朝のあとを慕って侍女とともに伊東から北条館を訪れた八重姫は、頼朝の心変わりを知り、真珠ケ渕に身を投じて命を絶ったとのことです。そして、八重姫を葬った侍女6人は、伊東へ帰る途中で自害した..
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武田信光墓武田信光は源義光(新羅三郎)を始祖とする甲斐武田氏の第5代当主。源頼家が修禅寺に幽閉されると頼家の見舞いに修善寺に赴き、その帰路、頼家が殺されと聞くと、庵を結び出家し頼家の菩提を弔ったと伝わっています..