記事「静岡」 の 検索結果 9462 件
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曾我兄弟像(曽我寺)静岡県富士市久沢の曽我寺境内にある曽我兄弟の像。 曽我寺は曽我兄弟の菩提を供養をしたお寺で、境内には兄弟の像の他にも、曽我兄弟の墓があります。
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曾我兄弟墓(曽我寺)静岡県富士市久沢の曽我寺境内にある曽我兄弟の墓。仇討ち事件の翌日の建久4年(1193年)5月29日、兄弟の父への孝心から助命を考えた頼朝でしたが、祐経の遺児の手前、五郎の斬首が決まったそうです。
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サスケハナ号(模型)幕末の下田に黒船が来航しましたが、サスケハナはペリー艦隊の中でも一番大きな黒船で、旗艦としてペリー提督が搭乗していたことで有名です。伊豆急下田駅のバスターミナルの一角に、大きな黒船の模型があります。
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曽我兄弟像(河津)静岡県賀茂郡河津町の河津八幡社境内にある曽我兄弟の像。河津八幡社は、曽我兄弟の父である河津三郎祐泰を奉る神社で、河津三郎の屋敷跡であり、曽我兄弟はここで生まれたと伝わっています。
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河津三郎力石曽我兄弟の父親である河津三郎は、相撲の名手として知られていて、相撲の決まり手「河津掛け」の考案者とされていますが、河津三郎が力を練るために用いたという300kgほどの石が、河津八幡神社境内にあります。..
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河津八幡社静岡県賀茂郡河津町に鎮座する、曽我兄弟の父である河津三郎祐泰を奉る神社。安元2年(1176年)10月、所領争いにより河津三郎祐泰が同族の工藤祐経に矢を射られて落命したことが仇討ち事件の発端となりました..
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秋戸郷跡治承4年(1180年)、源頼朝は石橋山合戦に敗れて安房に逃れ、その間、北条政子は、平家の手から逃れるため、秋戸郷で隠れていたとのことです。その後、頼朝は鎌倉に入り、政子は秋戸郷から鎌倉へと向かったそう..
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腰掛石(伊豆山神社)静岡県熱海市に鎮座する伊豆山神社境内にある、頼朝・政子の腰掛石。伊豆山神社は、源頼朝と北条政子の恋の舞台と伝えられていて、境内には、二人が座ったとされる石(腰掛石)が置かれています。
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伊豆山神社静岡県熱海市伊豆山上野地に鎮座する神社で、全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社、走湯神社などの起源となった事実上の総本社格。源頼朝は伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願したそうです。
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曽我兄弟墓(富士宮)建久4年(1193年)5月28日の夜、曽我兄弟は見事に仇討ちを果たしましたが、そのあと、兄弟は騒ぎを聞きつけ集まってきた御家人に取囲まれ、十郎は新田四郎忠常に討たれ、五郎は女装した五郎丸によって捕らえ..
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曽我八幡宮富士宮市上井出に鎮座する源頼朝の命により建久8年(1197年)に建立された神社で、ご祭神は応神天皇、曽我兄弟。この地は新田四郎忠常の陣所に近く、曽我十郎祐成が討たれた所と伝えられている処とのことです。..
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狩宿の下馬ザクラ建久4年(1193年)に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬からおりた所とされたことから、狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになったとのことです。その際、桜に馬を繋いだとも言われ、「駒止めの桜」という別名も..