記事「静岡」 の 検索結果 9339 件
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玉泉寺静岡県下田市にある曹洞宗のお寺で、安政3年(1856年)に、ハリスが日本最初の米国総領事館を開設し、幕末開国の歴史の舞台となりました。外交史上価値が高いことから、国の史跡に指定されています。
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外国人墓地(玉泉寺)日米和親条約によって下田が開港すると、下田追加条約により、玉泉寺が米国の埋葬所に指定され、これが日本初の外国人墓地とのことです。境内には、5基のアメリカ将兵の墓と、4基のロシア将兵の墓があります。
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日本最初の屠殺場の跡静岡県下田市の玉泉寺境内にある日本最初の屠殺場の跡。幕末の安政3年~6年の間、玉泉寺には米国総領事館がおかれていて、領事館員の食料にするため、仏手柑の幹に牛を繋いで屠殺したそうです。
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牛乳の碑下田市の玉泉寺境内にある日本における牛乳発祥を記念する碑。安政5年(1858年)2月、病床にあった米国総領事ハリスのために、待女お吉が禁を犯して下田近在から牛の乳を集め、ハリスに毎日与えたということで..
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米国総領事旗掲揚之地碑静岡県下田市の玉泉寺に日本で最初の米国総領事館が設置され、安政3年8月6日(1856年9月4日木曜日)の午後2時半に、米国総領事タウンゼント・ハリスが、ここに日本で最初の米国領事旗を掲揚しました。
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踏海の朝静岡県下田の柿崎弁天島にある吉田松陰と金子重之助の像。吉田松陰と金子重之助の二人は、下田湾に停泊中のペリー艦隊の旗艦ポーハタン号まで小舟でこぎ寄せましたが、密航は拒絶されました。
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柿崎弁天島もとは下田湾の中にある島でしたが、現在は陸続きになっているところです。この弁天島に身を隠していた吉田松陰と金子重輔は、密航を決行すべく、嘉永7年(1854年)3月27日の夜、ここから小舟を漕ぎ出しいき..
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ペリー艦隊来航記念碑(下田)嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に、江戸幕府とアメリカ合衆国の間で日米和親条約(神奈川条約)が締結され、下田と函館が開港されました。開港後の下田にペリー艦隊が来航し、上陸したのがこの地付近との..
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欠乏所跡嘉永7年(1854年)3月に締結された日米和親条約により、下田では、薪・水・食料・石炭などの欠乏品を外国船に供給することになりました。貿易は不認可でしたが、これで事実上の貿易が開始されたことになりまし..
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了仙寺静岡県下田市にある日蓮宗のお寺で、「ジャスミン寺」の別名があります。嘉永7年5月22日(1854年6月17日)、日米和親条約の付属条約、下田条約が締結された場所であり、国の史跡に指定されています。
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長楽寺静岡県下田市にある真言宗のお寺で、伊豆横道33ケ所霊場の23番札所。日露和親条約調印、日米和親条約の推准書交換が行なわれたところで、境内には、お吉観音を祀る宝物館や、悲恋のおすみ弁天などがあります。
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下岡蓮杖記念碑下岡蓮杖は文政6年(1823年)、下田中原町に生まれ絵師を志しましたが、結局、横浜で写真術を習得し、営業写真館「全楽堂」を馬車道に開きました。下田公園には下岡蓮杖の記念碑と銅像が建立されています。