記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
吉良邸跡元禄15年(1702年)12月14日、赤穂義士が討ち入ったのが、この地にあった吉良邸。当時は、約8400平方m(2500坪)という広大な屋敷だったとのこと。現在は、墨田区立の本所松坂町公園となっていま..
-
梶原景時館跡(相模一宮)梶原景時は石橋山の戦いで敗走した源頼朝一行を伊豆の山中で救い、その後、源頼朝の家臣となり、相模一之宮に領地を得たのがこの地とのことです。頼朝の死後、梶原景時は御家人達から讒言を理由に弾劾され滅亡しまし..
-
土佐坊昌俊邸跡土佐坊昌俊は、平安時代末期の僧・武将で、堀川夜討で知られています。文治元年(1185年)、土佐坊昌俊は、六条室町邸の源義経を襲撃しましたが、反撃されて捕えられ、六条河原で斬首されたとのことです。
-
犬懸上杉家屋敷跡室町時代の関東管領家の一つが犬懸上杉家。山内、扇谷、宅間、犬懸の4上杉家が交代で管領職に就いていましたが、犬懸上杉家は、上杉禅秀の乱により衰退してしまいました。鎌倉市浄明寺に邸跡の石碑があります。
-
文覚邸跡文覚上人は、もとは遠藤盛遠といい、北面の武士でした。誤って袈裟御前を殺害したことから出家して文覚と名乗ったとのことです。伊豆に流されていた時に頼朝と運命的な出会いをし、以後、頼朝に大きな影響を与えた人..
-
東御門跡源頼朝の館は鶴岡八幡宮の東側にあり、大倉御所と呼ばれていました。政務もここで行われ、幕府の所在地として大倉幕府とも呼ばれています。大倉御所には四方に門があり、東御門の跡に碑が建てられています。
- 前へ
- 次へ