記事「館跡」 の 検索結果 186 件
-
薩摩藩下屋敷跡JR品川駅の西側一帯、ホテルの建ち並ぶ辺りが、薩摩藩下屋敷跡とのこと。 文久2年8月21日(1862年) 、 島津久光は高輪薩摩藩下屋敷から京に 向けて出発し、途中の生麦村で英国人殺傷事件(生麦事..
-
閑院跡二条城近くの平安時代から鎌倉時代初期にかけての藤原氏の邸宅跡。 当初は藤原冬嗣の邸宅でしたが、藤原公季が伝領してから「閑院」と称し、 高倉天皇の時から90年以上にわたり、里内裏として使われたそうで..
-
古高俊太郎邸跡古高俊太郎は、近江の国出身の幕末の攘夷派の志士。枡谷喜右衛門を 名乗り、古道具商を装って情報収集と武器調達にあたりましたが、新選組 に捕縛され、厳しい拷問を受けて自白。池田屋事件へとつながりました..
-
在原業平邸跡在原 業平は、平安時代初期の貴族・歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。 全125段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であるとされています。 京都の御池通と間之町通が交差する南東の角に碑があります..
-
花の御所跡花の御所は、室町幕府3代将軍足利義満が造営した将軍家の邸宅の通称。 2代将軍足利義詮のときに、一時崇光上皇の御所だったことで、こう呼ばれ ていて、この石碑には、「従是東北足利将軍室町第址」と書かれ..
-
山名宗全邸址山名宗全は室町時代の但馬、備後、安芸、伊賀、播磨を領した守護大名。 応仁の乱では、西軍の総大将として戦ったが、乱の途中に70歳で死去。 この辺りの地域を西陣と呼ぶのは、山名邸がここにあったことによ..
-
西八条第跡西八条第は、仁安元年(1166年)頃、平清盛が造営した広大な屋敷。 寿永2年(1183年)、平家は自らこの屋敷に火を放ち、都落ちをしてい きました。現在は、梅小路公園になっています。
-
池田屋敷寛文元年(1661年)から幕末まで、旗本池田播磨守の屋敷がここにあり、 当時はここに、16000㎡の屋敷と隣接して抱屋敷があったとのことです。 現在は、明治通りの南側、荒川区東日暮里1丁目になって..
-
実相寺鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺で、文永8年(1271年)に日蓮の弟子 の日昭が、一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとの こと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた、工藤祐経の屋敷跡でも..
-
西御門跡源頼朝の館は鶴岡八幡宮の東側にあり、大倉御所と呼ばれていました。 政務もここで行われ、幕府の所在地として大倉幕府とも呼ばれています。 大倉御所には四方に門があり、西御門の跡に碑が建てられています。..
-
堀越御所跡静岡県伊豆の国市にある足利政知の館跡とされている処。足利政知は、 鎌倉公方として京より下ってきたが、鎌倉に入ることができず、この地に 留まり、古河公方に対して堀越公方と称されるようになりました。
-
世田谷代官屋敷東京都世田谷区世田谷にある、江戸時代中期の代官屋敷で、彦根藩 世田谷領20カ村の代官を世襲した大庭家の役宅です。住宅建造物と しては都内で初めての国の重要文化財に指定されています。