記事「鹿児島」 の 検索結果 7993 件
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大山綱良~西南戦争を支えた鹿児島県令大山綱良は廃藩置県後に鹿児島県の大参事,権令となるが、明治6年(1873)、征韓論争で敗れて帰鹿した西郷隆盛を私学校設立などの援助をした。その後鹿児島県は新政府に租税を納めず、その一方で私学校党を県..
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西郷従道~西郷隆盛の三弟。海軍軍人として初めての元帥。近年、西郷従道の評価が見直されているように。これまでは”小西郷”として西郷隆盛の七光りで明治政府の高官に登った如くの見方がされていたが、実は、隆盛以下秀逸な人材が西南戦争で失われた後の明治政府を築き..
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前田正名~のちに『布衣の農相』と呼ばれ、生涯その身を農業,中小企業の発展に捧げた。前田正名は薩摩藩医前田善安の6男として嘉永3年(1850)に生まれる。 幕末の騒乱時代に遅れて生まれ、藩校で勉学の後慶応年間(1865~68)には長崎に遊学して研鑽を積む。 明治2年(1869)..
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小松清猷~若くして琉球の地で客死した斉彬の側近小松清猷(こまつ きよみち)は文政10年(1827)、一所持で吉利領主の小松清穆の次男に生まれる。 幼少より才気有り、神童の誉れ高かったという。天保7年(1836)、藩主島津斉興の加冠により元服。..
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伊東祐亨~日向の戦国大名の末裔伊東祐亨(いとうすけゆき)は天保14年(1843)、伊東祐典の四男として鹿児島城下清水馬場町に生まれる。伊東家は南九州の豪族.伊東氏の末裔。幼名は四郎といい、父親から、仁•義̶..
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大迫貞清~勝海舟は『氷川清話』で大量寛宏の男と評した勝海舟は『氷川清話』で、大迫を次のように誉めている。 「維新後の静岡県は、旧幕のものが沢山移住して居たところだから、尋常の人では治め難い云々、、大久保(利通)は不承知のようだったが、大迫が適任だと思..
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島津斉興~祖父・重豪への反動からか 守旧的な考えに固執した島津斉興は後世の評価は頗るよくない。お由良を溺愛し、嫡男で聡明な斉彬の藩主就任を40歳半ば迄許さず、策略による江戸幕府からの引退勧告に渋々従った。また、斉彬が急逝した後藩主に就任した忠義が歳若いこと..
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赤山 靭負~「お由羅騒動」で散った桂久武の次兄赤山 靭負(あかやま ゆきえ)は文政6年(1823)1月、島津歳久を祖とする日置島津家12代当主島津久風(ひさかぜ)の次男として生まれる。諱は久普(ひさひろ)。 一所持の中でも特別な存在である日置..
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篤姫(天璋院)~島津家のお姫さまが徳川政権の末期を看取る天璋院篤姫は天保6年(1836)薩摩藩島津家の一門・今和泉島津家5代・島津忠剛の娘として鹿児島城下上町で生まれる。幼名は一子。幼少から聡明.利発と評される。 嘉永6年(1853)従兄である薩摩藩..
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竹姫(浄岸院)~その後の薩摩藩台頭に大きな貢献をした浄岸院(竹姫)は宝永2年(1705),公家の清閑寺熙定の娘として生まれる。叔母の大典侍の局(寿光院)は5代将軍徳川綱吉(1646生)の愛妾だったが、ふたりの間に子ができず、竹姫を養女にする。 竹..
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茂姫(広大院)~島津重豪の娘で徳川11代将軍家斉の正室。広大院は安永2年(1773)薩摩藩8代藩主.島津重豪と側室の市田氏(お登勢の方(慈光院))の娘に生まれ、後に11代将軍.徳川家斉の正室となる。実名は寧姫、篤姫、茂姫。天保12年(1841)家斉の死去..
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伊集院忠棟~島津家重臣だったが、その忠誠を疑われて島津家当主・忠恒に誅殺された伊集院忠棟(生年未詳 - 慶長4年(1599)後に幸侃)は、島津庶流を先祖とする。 もともと伊集院一族は、日置郡伊集院村の地頭職を得て伊集院氏を名乗った島津氏の一族で、南北朝時代以後その勢力を誇り..