記事「京都」 の 検索結果 58894 件
-
大名号碑京都市山科区の粟田口にある、木食正禅養阿上人が建立した大名号碑。 木食とは、五穀を断ち草木皮のみで生きる修行のことで、上人が、享保2年 (1717年)に、永代供養のために建立した名号碑のうちの一..
-
義経腰掛石京都市山科区の京都薬科大学グラウンドの一角にある「義経の腰掛石」。 牛若丸が京都から奥州に向かう途中、この付近で盗賊に襲われましたが、 逆に盗賊を切り倒し、牛若丸はこの石に腰掛けて休息したとのこと..
-
山階寺跡山階寺は7世紀後半、藤原鎌足により創建されたお寺で、中大兄皇子と共に 大化改新を成し遂げた鎌足の「山階陶原家付属の持仏堂」が始まりとのこと。 寺はその後、大和に移り厩坂寺、更に平城京に移り興福寺と..
-
五条別れ道標京都府京都市山科区の旧東海道沿いにある道標で、東海道を大津方面から 来た旅人にとって、五条・伏見方面への近道を示す役割を担っていました。 幕末の宝永4年(1707年)に建てられたものだそうです。
-
袈裟御前首塚京都市南区上鳥羽の恋塚浄禅寺にある、袈裟御前の首塚と伝わる五輪塔。 しかし、「恋塚」は誤りで、実は妖怪となって現れた鯉を退治して塚を築いたの が「鯉塚」である、という説もあるそうです。
-
恋塚浄禅寺京都府京都市南区上鳥羽岩ノ本町にある、浄土宗西山禅林寺派のお寺。 寺の起源は、寿永元年(1182年)の文覚上人による開基と伝えられいて、 境内にある袈裟御前の首塚(恋塚)から、恋塚浄禅寺とも呼ばれ..
-
浄菩提院塚陵墓参考地京都市伏見区竹田東にある、昇子内親王のものと推定されている陵墓。 昇子内親王は、後鳥羽天皇の第一皇女として生まれ、曽祖叔母の八条院の 猶子として育てられましたが、建暦元年(1211年)17歳で薨去..
-
城南宮京都市伏見区に鎮座する神社で、白河天皇が鳥羽離宮を造営してからは その一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったとのことです。 慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となった地で..
-
小枝橋鴨川に架かる、京都市南部地域の重要幹線道路である千本通が通る橋。 従来、狭く老朽化し、交通渋滞が慢性化していたため、新しく整備され、完成 した新橋は4車線歩道付きの幅員22mで,旧橋の約5倍となっ..
-
小枝橋跡慶応4年(1868年)正月3日、上洛を目指し、鳥羽街道を北上する幕府軍 1万5千と、これを阻止しようとした官軍6千が、小枝橋で武力衝突しました。 この武力衝突が、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端とな..
-
秋の山(鳥羽離宮跡)京都市伏見区にある鳥羽離宮跡公園に残る、鳥羽離宮の築山「秋の山」。 明治元年/慶応4年(1868年)1月3日、この地に布陣していた薩摩藩の 大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が始ったとのこ..
-
小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止 しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は、この地小枝橋で衝突しました。 幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのこ..