記事「京都」 の 検索結果 58894 件
-
鳥羽離宮跡鳥羽離宮(鳥羽殿)は、白河天皇が創建した譲位後の御所で、鳥羽上皇の 代にほぼ完成し、14世紀頃まで代々院御所として使用されていたそうです。 現在の京都市南区上鳥羽、伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯に..
-
袈裟御前墓袈裟御前は渡辺渡の妻で、従兄弟で同僚の遠藤盛遠から横恋慕され、その 執拗さから逃れるために、遠藤盛遠を騙して自らを盛遠に殺害させました。 遠藤盛遠は自分の行いを恥じて出家し、袈裟御前の墓を建てたと..
-
恋塚寺恋塚寺は、源平盛衰記に登場する遠藤盛遠が創建したのが始まりとのこと。 盛遠は、源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、その結果、誤って袈裟御前を殺害 してしまい、これを深く恥じた盛遠は、袈裟の墓とこのお寺..
-
鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。 明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、 この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑で..
-
古淀城薬師堂跡淀城には2つあり、納所にあった城を豊臣秀吉が淀君のために修築した のが古淀城と呼ばれていて、文禄3年(1594年)に廃城となりました。 この石標は文禄3年に廃された古淀城内の薬師堂跡を示すものとの..
-
妙教寺京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺で、宝泉院日孝を開山とし、 大阪の富豪であった法華又左衛門貞清が開創したとのことです。 鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内には戦死した幕兵の碑があります。
-
唐人雁木旧趾京都市伏見区納所の千本通にある、大坂からの船の船着き場のあった場所。 朝鮮通信使(唐人)が上陸したところとされていて、使節が下りた場所は羽を 広げた雁のような形の石段だったので、唐人雁木と呼ばれて..
-
戊辰役東軍戦死者慰霊碑鳥羽伏見の戦で激戦地となった宇治川堤千両松の地に立つ碑。 戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑が明治40年に建立されましたが、その碑を 撤去しようとしたら怪異が起きたので、埋骨地碑は元に戻されたそうです。
-
淀小橋旧趾淀小橋は山城国淀藩の淀城下の宇治川にかつて架けられていた橋。 淀藩は、かつて三川の合流地点に位置し、北に面した宇治川には「淀小橋」、 南の木津川には「淀大橋」が架けられ、淀城と城下町の入口となって..
-
伏見桃山陵明治45年(1912年)7月30日、明治天皇は東京の宮城・明治宮殿で崩御し、 東京の帝國陸軍練兵場で大喪儀が執り行なわれ9月14日に埋葬されました。 陵の敷地は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地だ..
-
伏見城伏見城は、京都の南の丘陵上にあった城で、後に桃山城とも呼ばれました。 伏見城は3回築城されたそうですが、豊臣期の城は豪華絢爛だったようです。 現在の天守閣は、遊園地の一部として建造された模擬天守閣..
-
渡月橋京都の桂川に架かる、観光地である嵐山を象徴する建造物ともなっている橋。 亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」 と感想を述べたことから渡月橋と名付けられたと伝わって..