記事「伊那谷」 の 検索結果 83 件
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120字の昭和史No.02~ダッコちゃんのまがい物時代:1960年(昭和35年)ごろ 昭和30年代の流行りもの―ホッピング、フラフープ、地球ゴマ、東京タワーの精密模型・・・そんな都会の流行をよそに、田舎小僧はまだまだ虫捕り、桑の実、川遊び。で..
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120字の昭和史No.01~うちにテレビがやって来た!時代:1961年(昭和36年)頃 うちにテレビがやって来た!友だちんちや大家さんちで、肩身狭くして見せてもらわなくても良くなった。NHKと民放1局、たったふたつのチャンネルだけど、電源入れて映..
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信州伊那谷の卵やさん 1番人気の平飼い卵信州伊那谷(しんしゅういなだに)の卵やさん 1番人気の平飼い卵です。 卵料理・お菓子が いつもより美味しくできます。 もちろん、たまごかけご飯も! ↓ ..
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山田風太郎の飯田時代~「戦中派不戦日記」より その5(最終回)(承前) 戦時下の生活 飯田のような片田舎でも、戦時色はいたるところに滲み出ています。 「きょうも真昼の町を出征の兵士がゆく。児童の行列がそれにつづく・・・笛や太鼓を鳴らし、可憐なのど..
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山田風太郎の飯田時代~「戦中派不戦日記」より その4(承前) 飯田線 山田青年は、日記で見る限り次のようにして飯田線に乗車しています。 辰野駅⇒飯田駅 疎開のため新宿で乗車した中央線から乗り継ぎ(6月25日) 飯田駅⇔天竜峡..
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山田風太郎の飯田時代~「戦中派不戦日記」より その3(承前) 飯田駅の少女駅員 飯田駅に、山田青年は頻繁に行き来しています。 貨物車輌から荷受けするためだったり、物見遊山に出かけるためだったりするのですが・・・ 「駅の切符切りの少女..
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山田風太郎の飯田時代~「戦中派不戦日記」より その2山田風太郎(本名・誠也)「戦中派不戦日記」のうち、昭和20年(1945年)6月25日から10月18日までの内容について少しばかり。 南信州・飯田の疎開時代の記述です。 (なお、日記からの引用文..
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山田風太郎の飯田時代~「戦中派不戦日記」より その1山田風太郎は、私の好きな作家のひとりです。 山田風太郎? ―という方がおられるかも知れませんので、ちょっと説明を。 昭和20年代から平成の初頭にかけ、常に娯楽小説界の第一線で..
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ふるさと散策 : 飯田地方の食文化など(後篇)(承前) 南信州、あるいは飯田地方の食文化についてもう少し続けます。 ただし、あくまでも私の見聞や経験をもとにした話で、すべてを体系的に記すものではありません。前篇の内容も含め、異論・異説..
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ふるさと散策 : 飯田地方の食文化など(前篇)前回まで6回に亘って、私が住んでいた頃(昭和30年代)の、飯田の町で起こったできごとなどを綴ってきました。 久しぶりに生まれ故郷に足を運び、ゆかりある場所を訪ねてみると、おぼろげだった幼少時..
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ふるさと散策 :飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その6(最終回)(承前) 飯田の丸山時代(私の6~8歳ごろ)は、好奇心の趣くまま、あたりの野山を駆け回っていた時代です。 前回の記事でふれた市営球場(今宮球場)の、北側に伸びる丘陵―現在「かざこし子ど..
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ふるさと散策 : 飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その5(承前) 余談から― 飯田地方の方言で親しい人を呼ぶとき、 「じろうさん」→「じろさ」「じろちゃ」 「まさこさん」→「まさこさ」「まさちゃ」 「みちよさん」→「みっちゃ」 ..