記事「保科正之」 の 検索結果 76 件
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歴史小説 鶴ヶ城物語(179)◇賢君の苦渋(7) けれども・・・。 お静の方が、正之を妊った時には、 「いかに、それぞれの身が大事なればとて、正しき天下の御子さまなるを二度までも水(人工的流産)になし奉りて..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(178)◇賢君の苦渋(6) 将軍夫人が、お静の方の懐妊を忌むだのは、むろん激しい嫉妬からでもあろうが、 「もしも妾腹に男子が生まれた時は・・・」 将軍位を巡っての紛争も予想されぬことはない..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(177)◇賢君の苦渋(5) 秀忠もまた営々として於江ひとりを守り通してきたわけだが、はからずもお静の方を見るに至って触手が動かざるを得ぬところとなった。 謹直な将軍・秀忠が、恐妻とのトラブ..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(176)◇賢君の苦渋(4) ところが、九条道房が死ぬと、豊臣秀吉は彼女を徳川家康の後継ぎ秀忠へ押し付けてしまった。四婚目である。 いうまでもなく政略結婚の典型的なもので、この時、於江は23..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(175)◇賢君の苦渋(3) いや、正之の前に一度妊り、正之の言行を記した『千年の松』によれば、 「御胤懐胎などということ御台様(将軍秀忠の夫人)に漏れ聞こえ候ては、一家一門何様の曲事に逢い..
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歴史小説 鶴ヶ城物語(173)◇賢君の苦渋(池波正太郎)(1) 加藤明成が致仕退転して後の会津に、保科正之が入封したのは寛永20年(1643)7月である。時に正之は33歳であったが、以来、治世に意を注ぎ、会津藩の祖..
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保科正之と徳川家光保科正之は江戸時代の大名さん。徳川家光の異母弟だそうです。 家光といえば3大将軍 でも争っていたわけじゃなく、家光はこの保科正之を可愛がってたんだって。 なんだか権力争いを考えて..
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保科正之 大河ドラマ昨年好調だった大河ドラマ 次回作、つまり今年は保科正之!!という声もあったとか どうも今の大河「江」の視聴率が伸びない だから保科正之という名がまた出てきたのかな~?
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白虎隊の悲劇は江のせいなのか?来年の大河ドラマの主役は江さんですし、彼女も絡むことをひとつ。 江はかなりヒステリックで嫉妬深いと一般的に言われています。 姉の淀君や、母のお市、叔父の信長なんかもヒステリックだから、これって..
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会津藩300回目のブログ。 保科正之を藩祖とする会津藩の家訓の第一は、徳川宗家を守ることであった。 最後の藩主松平容保は、養子であったが、人格は清廉で誠実であった。器用に立ち回ることはできず、家訓..
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【上杉綱勝】■名 前■上杉綱勝(うえすぎ つなかつ) ■当 主■上杉家 三代当主 ■領地変遷■正保 2年(1645年) 出羽国米沢藩 三代藩主 ■国高推移■正保 2年(1645年) 30万石 ..
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保科正之友人などに栄養学の勉強の話をすると、どうして栄養学の勉強なんてやってるんだ、などと尋ねられることがある。 しくじった。人と約束をしてたことをつい忘れてしまった。とはいうものの起きてしまったこ..