記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
関山越嶺古道-16【写真説明】初来(逢坂)―利稲(リト)間の新武路渓谷の美観はタロコ渓谷に匹敵すると書いたことがあるが、渓谷沿いに温泉が湧き出ていることには不注意であった。今回初めて気付いた次第。下馬(エバコ)..
-
関山越嶺古道-15【写真説明】関山越嶺警備道の起点、台東県関山鎮は全国唯一人口が1万人に満たない鎮と云う汚名を被っているようだが、台湾東海岸南部の大都市、活気に溢れていると筆者は思う。但し、筆者が車を降りて街中..
-
『水の古道』后里[土/川]-12【写真説明】「后里圳」カテゴリーの最後を「鉄の道」で締めて新年の挨拶に替えたい。日本時代起工の台湾鉄道旧山線大安渓鉄橋(左、中央写真)は、泰安鉄道文化園区の定番アトラクションである。旧泰安駅か..
-
『水の古道』后里[土/川]-11【写真説明】后里圳の水は最後は何処に流れ込むかと云うと、地下水路を経て、旧泰安駅西側、直線距離で2キロぐらいの場所にある水力発電所―現在の正式名称は「台湾電力公司、大甲渓発電廠、后里発電機組」..
-
『水の古道』后里[土/川]-10【写真説明】后里圳と言うより旧泰安駅を再訪した理由として二つ、后里圳渡槽と隘勇古道を挙げたが、二回目の探訪の折り、駅周辺を「水の古道」の観点から目を凝らしていたら色々面白い物にぶつかった。一つ..
-
『水の古道』后里[土/川]-9【写真説明】「隘勇古道」は初回探訪時は古道入口の「大正五年総督府」石碑を確認したのみ、雨が降っていたこともあり、実際歩くのは止めた。再訪時は歩いてみたが、撮影した写真データに依るとほんの数分で..
-
『水の古道』后里[土/川]-8【写真説明】「水の古道」投稿を継続する。台湾鉄道旧泰安駅周辺の后里圳第1回踏査は2016年5月、再踏査は同年8月である。再訪の動機は二つ、一つは、『后里[土/川]-4』で紹介した后里圳渡槽(水..
-
八通関古道竹山段-17:「化及蠻貊」碑【写真説明】2005年3月の一日、幻の「山通大海」も含め、「萬年亨衢」、「開闢鴻荒」、及び「化及蠻貊」を探し当てることに費やした。「化及蠻貊」碑(右写真)はこのダイヤグラムで判る通り、集集市街..
-
八通関古道竹山段-16:「開闢鴻荒」碑【写真説明】「開闢鴻荒」碑をテーマにした公園は木組みのテラスが集集攔河堰の下段自動車道(省道3号丙線)と同じ高さであり、刻字されている岩盤そのものはテラスの高さを遥かに突き抜けているが、刻字そ..
-
『水の古道』竹山隆恩[土/川]-2【写真説明】前回記事にて掲載した左写真の、南投県指定古蹟隆恩圳の現存する、但し水源を失い枯渇した水路出口を模したモニュメントの敷設された辺りの地下に、172メートル残存した清代開鑿の水路が穿た..
-
『水の古道』竹山隆恩[土/川]-1【写真説明】左写真は清代開鑿の隆恩圳の今に残る日本時代改修部分を模したモニュメントで公園になっている。濁水渓を跨ぐ「集集攔河堰」(中央写真)の左岸部にあり、隆恩圳はこの現代システム建設に依り、..
-
『水の古道』長源[土/川](2)【写真説明】長源圳探訪を終えると直ぐに竹林村の市街地に戻り文昌国民小学校を目指した。目的は前回の投稿で訳出した長源圳所縁の碑を探し出すことである。紹介文原文は、「立有碑文於竹林村文昌國小東南側..