記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
『水の古道』八奨渓義渡-6【写真説明】八奨渓義渡公園内に小屋掛けしてある「八掌渓義渡記念碑」(左写真)は殊更日本式漢字の「記念碑」を充ててあり、中国式の「紀念碑」では無い。しかもこの碑は元々は別々に建立されたものを合体..
-
『水の古道』隘寮[土/川]-2【写真説明】左写真は水門橋から隘寮圳導水口側を望んだ。水門橋は戦後の架橋であるが、同写真中央に写る小橋は日本時代の架橋。日本時代に撮影された写真と比較すると、当時と変わらぬ姿で水を落とし続けて..
-
哈盆越嶺古道-6【写真説明】今回は哈盆越嶺古道カテゴリーを閉じるに当たり古道美三景を選んだ。。。(終り)
-
哈盆越嶺古道-5【写真説明】「桶後越嶺古道-1」で書いたように、哈盆越嶺古道を表し誰かが「台湾のアマゾン」と呼んだ。同記事でその所以を南勢渓の渓谷美に在りと言い切ったのだが、実は自信が無い。かと言って他の所以..
-
哈盆越嶺古道-3【写真説明】カラモチ歩道の全長は福山村入口から2㌔乃至は3㌔程度のようで、後東側に伸びる部分は林務局設置の里程標が立つ哈盆古道となる。前回記事で述べたように、カラモチ駐在所は福山村からざっと5..
-
哈盆越嶺古道-2【写真説明】カラモチ歩道段の哈盆古道の景観を二枚選んだ(左・中央写真)。何故かこの段の古道脇の保護柵は黄色と緑の段々である。歩道上の指導標の材質も林務局のものとは異なる。恐らく福山村が自前で整..
-
哈盆越嶺古道-1【写真説明】左写真は新北市烏来区福山村内で見掛けた「哈盆」と「阿玉」(前回投稿「桶後越嶺古道-5」で紹介済み)の記載がある看板。阿玉は同区孝義村の日本時代の旧名。但し、同看板に何故二つながら並..
-
桶後越嶺古道-5【写真説明】第二渡渉点を過ぎてから烏来側古道出入口に向かい3㌔程は、杉の植林中の路程となる。尤も『Tony的自然人文旅記』絵図からの推測であり、筆者の記憶には無く、自身の撮影した写真に残ってい..
-
桶後越嶺古道-3【写真説明】礁渓側古道出入口から1㌔、烏来側から6㌔地点が古道最高点、古道の起伏と云う意味では、変化の少ない本古道中のマイルストーンである。この最高点に至る前に最初の桶后渓との渡渉点が顕れる(..
-
桶後越嶺古道-2【写真説明】左写真は、前回紹介した地鶏料理店から産業道路を5㌔程度遡った場所にある指導票。そこではコンクリート道路が地肌を露出させており、まだ車で入り込めそうだったが、駐車し歩き出した地点(中..
-
桶後越嶺古道-1【写真説明】桶後越嶺古道には、東側は宜蘭県礁渓郷匏崙匏村、西側は新北市烏来区孝義里からアクセスする方法があるが、筆者は東側から入り往復する方法を選んだ。左写真は、同古道の林務局に依る里程標が最..
-
関山越嶺古道-17【写真説明】台東県海端郷の中では最大の行政区画を擁するリト(利稲)村(左写真)は70戸、500人程度、新武路渓の支流である利稲渓の河岸段丘(その為、利稲台地と云う呼称を見たことがある)上に集落..