記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
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パイワン族秘道-25:森丑之助「生蕃行脚」の世界-13【写真説明】右写真は産業道路沿いに残るブツンロク社旧住居。これは偶々草の陰から垣間見れたもので、道路沿いに並ぶ殆どが草莽に覆われてしまっている。中央写真は現在のブツンロク社、文楽村前景。左写真..
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パイワン族秘道-24:森丑之助「生蕃行脚」の世界-12【写真説明】左写真はイノシシの足跡、これは現代の日本人でも珍しくないものだと思う。イノシシが増えすぎて農作物の被害が甚だしい地域が日本には多数あるようだ。なにせ日本のイノシシは海を泳いで島に渡..
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パイワン族秘道-18:森丑之助「生蕃行脚」の世界-6【写真説明】左写真はパイルス社の頭骨架(首棚)を目指し草叢を進む。中央写真はその頭骨架。私自身初めて見た台湾原住民族の頭骨架であるが、最早原型を殆ど留めていない。右写真はボガリ社への連絡道入口..
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パイワン族秘道-15:森丑之助「生蕃行脚」の世界-3【写真説明】左写真は、現在のブツンロク社、来義郷文楽村にある屋根付き村民集会場の奥に掲げられた巨大なレリーフ。パイワン族を象徴するすべてが盛り込まれている。右二枚は文楽村の朝と夜。
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パイワン族秘道-13:森丑之助「生蕃行脚」の世界-1【写真説明】茄苳樹の大木、鳥居龍蔵も森丑之助も必ず見ている。ブツンロク社(現屏東県来義郷文楽)とボガリ社(現屏東県来義郷望嘉)を結んでいた当時の理蕃道は今は産業道路になっているのだが、この大木の..
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『水の古道』二峰[土川](4)【写真説明】來義国民小学校の図書館に仮安置されている鳥居信平の銅像。今週火曜日6月23日、T博士の撮影である。
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恒春卑南古道(阿朗伊古道)-23【写真説明】私は毎週土曜日に本ブログ記事をアップすることにしているが、今回は特別記事である。前回記事「恒春卑南古道(阿朗伊古道)-22」で、「征蕃役戦死病歿者忠魂碑」は、その一部が現在同碑の台..
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蘇花古道-10【写真説明】サヨンの碑と鐘については読書の皆さんはよくご存知かと想像するので書かない。この碑が元々何処でどのように「発見」されかもよく知られている。今現在は、掲載写真のように現在のブター社を見下ろ..
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『水の古道』美濃水橋(3)【写真説明】蘇花古道の出発点である蘇澳(羅提督が蘇澳から開鑿を開始したと云う意味で)から南に向かい歩を進めていく前に、少しだけ一服する。いきなり蘇澳から遥か南に移動してしまって申し訳ないが、左写..
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蘇花古道-2【写真説明】道路開鑿に伴い設営された営盤(この場合は、羅大春提督駐留軍駐屯地)は古道沿線各所に残存するが、古蹟指定等の保存活動は筆者の見た限りでは一切なされていないので、写真で見るように、普通..
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『水の古道』竹仔門発電所(3)【写真説明】竹仔門発電所構内には、発電所構造以外にも幾つかの日本時代の遺構が残る。防空壕もその一つである。その中で四基の石碑は代表的なものであろう。左写真は、発電所入口に繋がる道路脇に残る竣工記..
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『水の古道』竹仔門発電所(2)【写真説明】左写真は発電所本館外観。二枚目の写真は避雷針、前回ブログでも触れたが建立当初からのものだと思う。三枚目写真は発電所内部、水車と発電機。発電所側の説明ではドイツ製でいまだに現役。同..