記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
-
『水の古道』白冷[土川]-2【写真説明】これから数回の記事は写真を並べることが主になり記事自体は少ない。実際白冷[土川]の現場を訪ねたのはそれ程昔ではないのだが、何せ一度切りである。前回の記事で白冷[土川]は全長17キロ..
-
『水の古道』白冷[土川]-1【写真説明】恐らく21号線を跨ぐ白冷[土川]、「渡槽」と書かれているが「水橋」と言い換えてもいいのかもしれない。但し、水橋と書かれたものも別に存在する。「恐らく」と書いたのは8号線だったかもしれ..
-
福巴越嶺古道-1【写真説明】左写真は台湾紅檜(ベニヒ)の一大原生林が残る拉拉山(ララ山)自然保護区入口ゲート。ゲートを通過する自動車道も福巴越嶺古道の一部である。左二枚の写真は古道沿線に林務局が500メートル..
-
パイワン族秘道-30:森丑之助「生蕃行脚」の世界-18【写真説明】左写真はリキリキ祠の遺構。祠を支えていた台だと思う。初めて訪れた時はこれが唯一の神社遺構だと考えていたが、実は他にも意外な物が残存しているのを確認したのは第二回目の踏査時である。追..
-
パイワン族秘道-29:森丑之助「生蕃行脚」の世界-17【写真説明】左写真は「浸水営古道-18:帰崇段-2」で紹介した貯水タンクから帰化門営盤跡への道を少しだけ辿った場所、即ち現代の大漢山林道とリキリキ社へ向かう浸水営古道分岐点から俯瞰した潮州市街..
-
恒春卑南古道(阿朗伊古道)-26【写真説明】左写真は屏東県牡丹郷四林村入口、同満州郷の郷公所から県道200号線を北上すればすぐに辿り着く。同村に残る「忠魂碑」、四林格事件での討伐側である日本サイドの殉職者慰霊碑。右写真は、最..
-
『水の古道』南投県双龍村-1【写真説明】左写真は双龍国民小学校。校舎の壁に描かれているのはブヌン文字だそうだ。中央写真は双龍瀑布。現在の村名が先か、滝の名前が先か?滝の名前はその流れから来ているのだろうが、921地震で崩..
-
『水の古道』南投県地利村-1【写真説明】濁水渓谷の壮大な景観を二枚。左写真はブヌン族バクラス社上方より卓社大山を望んだもの。バクラス社跡は同写真左手前の河岸。幾つかの建造物が見える場所。右写真は俗に「土虱湾」と呼ばれる濁水..
-
関山越嶺古道-5【写真説明】左写真は林古松氏のチームに拠る「玉山国家公園関山越嶺古道調査研究報告」表紙。実際、関山越嶺古道に関するこのような研究報告書がどれくらい存在するかは判らないが、一覧すれば随一のもので..
-
俯瞰図:小関山▲[←俯瞰図はココをクリック] 小関山とは明らかに関山に因んで名付けられたのだが、何を以てそう呼ばれるのかは私には未だに判らない。山容から、小振りの関山という意味だろうか? 南一段の縦走路..
-
関山越嶺古道-1【写真説明】台湾を代表する山岳自動車道、通称「南横」西段の観光名所の天池にある、南横建設時の犠牲者を祀った長青祠階段途中から望んだ塔関山(台湾百岳72号、標高3,222メートル)。私の初めての南横..
-
パイワン族秘道-26:森丑之助「生蕃行脚」の世界-14【写真説明】「生蕃行脚」の終点になるカピアガン社(現泰武郷佳平)、クワルス社(同泰武)については既に以前の記事で紹介済みである。プンティ社(同佳興)旧社はまだ訪ねる機会が無い。現在のプンティ社..