記事「台湾古道」 の 検索結果 459 件
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六亀特別警備道-52:第12宿「沼津」(2)【写真説明】沼津分遣所跡地では正面門に至る回廊ばかりに関心が集中し、駐在所構内の遺構の確認は疎かになった。残存状況の優れた石塁二箇所と使途不明の遺構ぐらいしか撮影したものが残っていない。。。記..
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六亀特別警備道-48:第10宿「箱根」【写真説明】「箱根」分遣所跡地は、小関山林道沿いの六亀特別警備道の最南の駐在所跡地となり、林道約10.5㌔地点から西側(林道起点を背にして左側)に入り込むとそれらしき石塁(左写真)に突き当たる..
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六亀特別警備道-46:第8宿「大磯」【写真説明】大磯分遣所跡地は小関山林道約12.5㌔地点、立地は平塚と全く同じだと言えるが、更に林道に隣接している(左写真は筆者の背中が林道起点側、左側土手から進入)。これも平塚と同じだが、旧警..
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六亀特別警備道-43:小関山林道【写真説明】上段左写真は小関山林道約7.5㌔附近の検査哨、正式には、高雄市政府警察局六亀分局宝来検査所、今回の六亀警備道の踏査に際し、実に2006年以来久々にここのゲートを越した。既に標高1,..
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六亀特別警備道-39:第27宿「袋井」【写真説明】バリサン警戒所跡地を含む二つの丘陵上のピークを越えた後は大きく高度を落とし袋井分遣所跡地に至る。丁度見附山との鞍部になる。小規模な遺構であるが、分遣所跡地を即座に特定出来る..
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六亀特別警備道-38:バリサン警戒所【写真説明】「バリサン」の漢音訳は種々ある。元々はブヌン族バリサン社に対し使われた表記で、日本時代は片仮名で統一されていたが、戦後の漢字表記は様々。基本カタカナで表記されていた原住民集落の漢字..
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六亀特別警備道-37:第26宿「掛川」【写真説明】出雲山林道脇から小さな登りとなる登山道はそのまま旧警備道なのか?という質問に対し、イエスと言える証拠は、直ぐに遭遇する短い所謂「浮築橋」(左写真:筆者の背中が掛川方面)である。その..
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六亀特別警備道-31:第53宿「大津」(2)【写真説明】左写真は茂林国家風景区の入口の大門、2001年5月、二十年前の撮影だが今もこのまま、この大門を潜る前に右側に遊楽客用の駐車場があり、そこが「大津」分遣所跡地であることが判明した。中..
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《嘉義県の古道》大坑山古道-2:大坑山基点峰【写真説明】大坑山歩道の方が圧倒的に人口に膾炙しているので、大坑山をその歩道が整備されている山間部と誤解している向きは多いようだ。三角点を擁する大坑山については、これまでの嘉義県の古道を紹介す..
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《雲林県の古道》苦苓脚古道-鐵國山【写真説明】明治28年(1895年)の下関条約締結後、台湾内では各処で所謂抗日事件(武力抗争)が頻発するのであるが、筆者自身は戦後の赤化教育を受けた身故、「抗日」の文字を見るに付け心穏やかなら..
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《嘉義県の古道》古梅古道(梅山郷)【写真説明】前回投稿中の上掲右写真には「安靖古道」と「古梅古道」が並列して標記してある。郷道115線上の複数箇所で目撃した。但し、この古道は筆者の手元の地図帳に記載は無い。安靖古道と同じく、車..
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《嘉義県の古道》安靖古道(梅山郷)【写真説明】梅山郷は竹崎郷の北隣である。この古道も筆者の手元の市販地図帳を眺めている時に眼に留まった。その赤線で示された古道の殆どが嘉義県郷道115線に沿っており山中に入り込んだ古道部..