記事「墳墓」 の 検索結果 55 件
-
大北墓 (うにしばか)・第二尚氏時代に、今帰仁城・北山監守を務めた一族の墳墓だそうだ。大北墓は、運天港を囲むようにして続く丘陵の崖下にある。離島へ向かう連絡船のターミナルから、護岸に添って歩いていくと、観光バスが駐車する広い駐車場があり、さらにその先へ進むと、海沿いの崖下をくり抜いた古..
-
池城墓 (いちぐすくばか)・首里から遠く離れた今帰仁に、琉球士族の墓があった。諸志の佐田浜を後にして、「池城墓」に向かった。凡そ2.5kmを歩くことになる。まだ三月だと云うのに、沖縄はもう暑い。長年、寒い三月を過ごした「ないちゃぁ~」には、身体リズムの調整が難しい。2㎞も歩い..
-
赤墓 (あかばか)・尚円王には尚宣威の他にも弟がいたのか? 伝説って面白い。見落としたのかどうか、「赤墓」への案内標識が見当たらないので、大凡の見当をつけて「諸志の散策道」と彫られた石柱を頼りに、海岸に続く遊歩道に入って行った。道端の小高い丘には、新旧とり混ざった墓地が点在..
-
志慶真乙樽の墓と今泊の拝所 (しげまうとぅだるのはかといまどまりのうがんじゅ)・フクギ並木を歩いた。フクギ並木を歩いた。静かな空間が広がっている。背の高いフクギは防風林の役割があって、潮風が吹きつける集落を守っている。フクギは、沖縄以南に分布する樹木で、高さは10mから20mもある。葉は楕円形で..
-
津屋口墓( つやぐちばか)・なんとなく薄気味の悪い雰囲気だなぁ~。近づいたらアカンのか?阿応理屋恵ノロ殿内を出て、さらに足を進めると、路地の向こうに沖縄ブルーの海が見えてくる。防波堤の階段を下ると「シルバマ海岸」の砂浜に出る。海に突き出した琉球石灰岩の巨大な岩礁で東西を囲まれ、さほどの..
-
伊祖の高御墓(いそのたかうはか)・崖葬墓(がけそうばか)で歴史的に古い形式のお墓だそうだ。伊祖神社のある伊祖公園を出て、南に向かって200mも歩くと、左手に「浦添大公園」と彫られた大きな石が建っている。左折して公園の中に入って行くと、直ぐに高圧線の鉄塔が目につくが、その反対側、右手崖の中..
-
浦添ようどれ(うらそえようどれ)・ようどれとは、琉球語で「夕凪」のこと。王墓を意味する。ようどれとは、琉球語で「夕凪」のことである。海上の波が静まり、穏やかになることから、王墓を形容する言葉になったと云う。浦添城(ぐすく)跡の北側断崖の中腹にあって、城跡の入り口手前を左手にとって進むと..
-
玉陵(たまうどん)・地味な史跡だが、琉球独自の文化を知ることが出来る。守礼門から200mばかりの距離なのに、訪れる人が殆んどいない。あれだけ賑わいのある首里城とは隔離された空間である。多くの観光客は何処へ行ってしまうのか。もっとも、陵墓という地味な史跡だから、興味が湧..
-
伊是名玉御殿(いぜなたまうどん)大型台風が去った7月の下旬、伊是名島に行ってきた。琉球第二尚氏王統(1470年~1879年)の始祖尚円王(金丸)が生誕した歴史の島だ。案内人は、賀数仁然氏。首里城を案内させたらこの人の右に出る人はい..
-
泊外人墓地(とまりがいじんぼち)泊港の埠頭北岸舟客待合所から道を隔てた反対側に、泊外人墓地がある。墓地には自由に入れるのかと思ったが、入口は鉄製の頑丈な扉で、閂が掛かっていて入れない。三方が道路に囲まれているので、道伝いに歩いて見..
-
グーグル地図が捉えた自然とその上の生物・人工物・アクション(524) - アイルランドの「ブルー・ナ・ボーニャ渓谷の遺跡群」にある墳墓「ノウス」グーグル地図はある時点の地球の景色をそのまま伝えてくれます。その景色は上空から見ると造型が不思議なものに見えたり、そのものに対する考え方を変えさせるなどの力があります。グーグル地図が捉えた自然とそ..
-
グーグル地図が捉えた自然とその上の生物・人工物・アクション(522) - アイルランドの「ブルー・ナ・ボーニャ渓谷の遺跡群」にある墳墓「ニューグレンジ」【改訂】グーグル地図はある時点の地球の景色をそのまま伝えてくれます。その景色は上空から見ると造型が不思議なものに見えたり、そのものに対する考え方を変えさせるなどの力があります。グーグル地図が捉えた自然とそ..