記事「宗教学」 の 検索結果 72 件
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キリスト教の普遍性を求める世界観とヨーロッパの大航海時代2:プラトンのイデア論と知覚・存在を巡る議論個人の自由・権利・楽しみを最大限に尊重する“人権思想・自由主義・男女平等”というのは、十分な世俗化を遂げたキリスト教からは生み出されたが、イスラーム圏ではそういった個人レベルの自由や楽しみ(宗教規範の..
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キリスト教の普遍性を求める世界観とヨーロッパの大航海時代1:ポルトガル・スペインの隆盛期現代の世界秩序や社会制度の大枠を規定しているのは“近代”の価値観であり、ヨーロッパに発した近代的価値観の多くは『キリスト教』にその起源や原動力を持っている。世俗的な法治主義の古代ローマ帝国を宗教化して..
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評4:加藤清正の本妙寺と大分県国東半島の羅漢寺第97番 本妙寺(ほんみょうじ) 熊本県は豊臣秀吉の家臣の猛将であった加藤清正が統治した時代があり、清正は朝鮮出兵・虎退治の武勇だけでなく難攻不落の熊本城を建設したことでも知られる。『隈本』とい..
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評3:空海信仰の善通寺・長崎の唐寺の興福寺第93番 善通寺(ぜんつうじ) 讃岐うどんで知られる香川県にある善通寺は、真言密教の祖である弘法大師・空海ゆかりの寺(空海が建立した寺)であり、四国八十八箇所巡りの第75番札所である。四国八十八..
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評2:太宰府の古刹の観世音寺と久留米の梅林寺『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』では、四国・九州地方にある10宇の寺院が選ばれているが、前半の5つの寺院の来歴・地理・特徴、その感想を簡単に書き留めておこうと思う。 第91番 観世音寺(かんぜお..
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五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』の書評1:なぜ人は寺院を巡るのか?信仰と観光の癒し日本全国にある百の寺を巡礼するシリーズの最終巻であるが、自分自身が九州に在住しているということもあって『四国・九州篇』から手に取ってみた。日本における仏教の歴史は朝鮮半島にあった百済の聖明王が、欽明天..
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五木寛之『21世紀仏教への旅 中国編』の書評:頓悟禅の六祖・慧能と曹洞宗の道元が伝えた禅宗の教え日本仏教の禅宗の歴史は平安後期に始まるとも言われるが、鎌倉時代の栄西(1141-1215)の臨済宗と道元(1200-1253)の曹洞宗が一般にはよく知られている。本書は五木寛之が中国の禅宗の事績やエピ..
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F.ニーチェの『この人を見よ』に投影されたツァラトゥストラ(超人)の理想と自己讃美・復讐の衝動フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の思想というと『ツァラトゥストラはこう言った』や『道徳の系譜』が注目されやすいのですが、ニーチェの著作を概観してその思想のエッセンスを知りたいのであれば『こ..
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自力救済の中世社会における“無縁”と“暴力”:近代国家の中央集権的統治とヤクザの民間暴力前回の記事の続きになるが、武士団と中世寺社勢力は『暴力(軍事)による威圧・実力行使』によって、自力救済の社会に最も良く適応した集団である。『国家(法律・制度)』と『社会(現実の生活)』とのギャップが大..
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“国家(法権力)”と“社会(民衆社会)”のズレが生む無縁の世界:朝廷・幕府・寺社の多重権力白河上皇の院政期(1086年~)を『中世の始まり』として、織田信長の京都入京(1568年)による武家政権の全国的政権化を『中世の終わり』とするのが通説であるが、伊藤正敏氏は著書『寺社勢力の中世――無縁..
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中世寺社勢力と非農民の“行人・神人・聖”が形成した“無縁の世界”:有縁の世界からの避難所ゲマインシャフト(伝統共同体)としての『家族とのつながり・血縁地縁』が薄れていって、最期には誰にも看取られず孤独死してしまうという『無縁社会の問題』が以前マスメディアなどで取り上げられていた。ここでい..
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“宗教規範・家父長制・性のダブルスタンダード”で規制されていた女性の身体の解放と性道徳の変質『前回の記事』の続きになりますが、近代の前半期まで『女性の自由・権利』は大幅に制限されており、『家庭(婚姻)・性道徳・世間体・教育』によって成長すれば結婚して家庭に入り家長(夫)に従うことを半ば運命づ..