記事「寺院」 の 検索結果 3482 件
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金剛寺 <横浜市保土ケ谷区>横浜の城郭巡り「今井城跡」で城山の麓にある金剛寺を訪れた。城主の墓がある。 2021年6月25日 横浜市保土ケ谷区今井町108 関連 横浜の城郭巡り 今井城跡 https:..
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城根山妙蓮寺 <横浜市都筑区>横浜の城郭巡りで寺院探訪を兼ねて城根山妙蓮寺を訪れた。 妙蓮寺の開山は、当寺サイトに、「武蔵風土記によると、今から七百年前、室町時代初期康永三年(1344)に 日蓮聖人の孫弟子にあたる越中阿闍梨朗慶..
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福昌寺 <横浜市青葉区恩田町>横浜の城郭巡りで横浜市青葉区恩田町にある福昌寺を訪れた。福昌寺付近が鎌倉時代の御家人恩田氏の城館跡と推定されている。 新編武蔵風土記稿による福昌寺の縁起 (恩田村)福昌寺 除地、三段許、村の..
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宗栄寺の参道工事 <横浜市青葉区>宗栄寺境内の参道工事が終わった。那智黒(那智石黒玉砂利)が埋め込まれている。 2021年3月18日 横浜市青葉区鉄町
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歓成院(大倉山観音) <横浜市港北区>歓成院は、妙義山法華寺と号す。歓成院は、善通法印(永禄18年1567年寂)が創建したという。旧小机領三十三所子歳観音霊場12番、東国八十八ヵ所霊場23番。 新編武蔵風土記稿による歓成院の縁起 ..
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斎徳山不動尊横浜市都筑区の徳生公園の北側にあるお不動様。昭和40年(1965年)に発表された港北ニュータウン造成工事の為、昭和57年(1982年)より大善寺に長期に亘り仮安置されましたが、その際に本堂が解体された..
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題名の付けにくい夢大きな寺院の回廊のような場所に居て、少し下り勾配の道を歩いて出口に向かっていると、暗がりの中で、とても小柄な青い服装の人と出会った。 暫くすると、三つ揃えの背広を来た大柄な人物が、『青い服と赤い服』..
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照太寺(しょうたいじ)・首里から遠く離れた伊江島に、琉球王府の勅願寺があった。照太寺は、伊江港から凡そ4㎞ほど西に向かって歩いたところにある。由緒ある寺院だが、市街地からは遠く離れ、人家も疎らな田園地帯にあって、人が訪ねることも無さそうな場所である。鄙びた佇まいで、小さな祠の..
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凌雲院 (りょううんいん)・ 地元では屋部寺(やぶでら)と呼んでいる。屋部(やぶ)集落は、名護市の西方、本部半島の付け根部分にあって、やって来たのは、今回で2度目である。3年ほど前、今帰仁城に関わりのある聖地を巡拝した際、臣下の謀反によって城を追われた按司一族を匿った..
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久志観音堂(くしかんのんどう)・お寺のお爺さん、ティラヌタンメーの石像、こりゃ国宝だ。久志若按司の墓から50mも山手に向かうと、左に折れる道があって、観音堂と書いた札が下がっていた。樹木が茂った奥の方に、大きな石灯籠と赤瓦のお堂が見えてくる。お堂に覆い被さるように、がじゅまるの巨木が..
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金武観音寺(きんかんのじ)・日秀上人は、薩摩藩の特命を受けた外交官ではなかったのか。再び、金武観音寺を訪ねた。補陀落渡海を実践した捨身行者の日秀上人が、琉球金武の浜に漂着し、洞窟を霊場として金武宮を構え、洞窟の上に金武観音寺を建立したと云う伝承がある。 観音寺の境内は広々と..
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樹昌禅院(じゅしょうぜんいん)・開祖の南陽紹弘禅師は北谷長老と尊称され、教義が根付いている。国道58号線、北谷バス停の先から県道130号線に入る。キャンプ・フォスター・ファイア・ステーションの交差点を左折して、米軍キャンプの中に続く県道を歩いて行くと、基地の金網フェンス越しに樹昌禅院の赤い..