記事「崇神天皇」 の 検索結果 72 件
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黄金三角 7 治水は大王の務め(承前) 大依羅神社の主祭神であり、依羅我孫子たちの祖先とされる建豊波豆羅別王(たけとよはづらわけのきみ)は第九代・開化天皇の子供に位置づけられた方ですが、系譜上その兄弟である崇神天皇(御真木入日..
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応神と稲背入彦 1 景行は垂仁の弟景行天皇に播磨稲日大郎姫を、是非、皇后に迎えなさいと勧めたのは稲背入彦命であり、その景行帝こそ垂仁天皇の謎に包まれた次男・五十瓊敷入彦命の真の姿である、等とは記紀の何処を探しても書かれていません..
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神々の系譜 9 国の「富」は鉄なり(承前) 先に見た物部氏族との通婚も、三上氏の武器製造者であり祭祀者でもある面から理解すべきものであるのかも知れません。忍坂と言えば著名な鏡の銘文の中にも出てきた古代の要衝でした。近江の三上氏に代..
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神々の系譜 7 三上氏は湖東の実力者(承前) 再び、天御影命の系譜に戻りますが、疑わしい国忍富命の前に置かれた坂戸彦命・川枯彦命という存在は「先代旧事本紀」の物部氏系譜に「淡海川枯姫」「坂戸由良都姫」たちが、極、古い時期に物部氏の族..
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3人のアーティストにより熱田神宮に響いた八雲琴と歌声、そして草薙剣の伝説熱田神宮に響いた八雲琴と歌声、そして草薙剣の伝説 熱田神宮での素敵な奉納。 松浦千代子さんの八雲琴が五十鈴川に響き渡りました。田中文枝さんの語りで草薙剣と日本武尊の神話に触れました。吉村..
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蘇我と葛城 5 因果は巡る(承前) 古事記によれば、崇神天皇の「御世」に「役病多に起こりて、人民死にて尽き」ようとする事態が生じました。愁い嘆く帝の夢に顕れた大物主大神は『是は私の御心である。故、意富多多泥古を以ちて、私の..
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仁徳と石上神宮 2 神宝の管理(承前) 神々の祭祀については既に崇神天皇の治世下で様々な方策が打ち出され、三輪(みわ)の大物主大神を「大物主の子、大田田根子(母親が陶津耳の娘・活玉依姫)」に祀らせる一方「物部連の祖、伊香色雄命..
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石上神宮と吉備 2 忍坂から石上へ(承前) 古事記も崇神天皇の段で、ほぼ同様の記述をしていますが、一つだけ日本書紀が全く触れていない内容があります。それがオオタタネコの「系譜」で、帝に「汝は誰の子か?」と問われた彼が『僕は、大物主..
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石上神宮と吉備 1 フツとフル奈良のJR桜井線天理の駅を降りて、真東に少し進むと国道169号に突き当たる。そして大学の広大な施設を右手に見ながら川に沿って更に東方向に歩いた辺りが布留町で、石上神宮はなだらかな丘陵の地に建立さ..
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カモと天孫族 下 息長と和邇(承前) 大王は王子の出雲詣りを即決、占いによって吉と出た曙立王と菟上王の二人を介添え人として都を出立しました。仮宮を建て大御食を出雲国造の祖・岐比佐都美が献上しようとした時、突然、王子が『此の川..
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天津彦根命の系譜 6 三上、山背、凡河内(承前) 単なる系図の話だったはずが少々込み入った構図に変化してきましたので、これまでに分かってきた事柄を箇条書きにしてみたいと思います。(過去に掲載した記事にある内容も含まれています) ⑥..
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継体陵の主 5(承前) 関西で暮らす者にとって「河内」と言う言葉は、つい「南大阪」方面の限られた地域を想起させてしまうのですが、古代の人々にとっては現在の大阪府・兵庫県にまたがる広大な地域を指し示すものであった..
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