記事「崇神天皇」 の 検索結果 72 件
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スサノオとツノゴリ 3 天孫族の祖(承前) 鍛冶集団自体の国内移動については泉南市の北部に当たる柏原市大県(5世紀頃の製鉄遺跡がある)に天湯川田神社が建ち、更に、その直ぐ北にも「垂仁皇子」鐸石別命(ヌデシワケ)を祭神とする鐸日子鐸..
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スサノオとツノゴリ 2 皇子と製鉄(承前) 第七代孝霊天皇の御代に、伊部郷(敦賀郡)の北に聳える座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、 その後、第十一代垂仁天皇の御代に、伊部臣という人が 和泉国鳥取川上宮で造られた千口の劔の..
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河上部と鏡作り 2 だ龍鏡との関連(承前) その第九代に当たる「大加賀美命(オオカガミ)」には又の名前が「櫛努古理命」「天水與気命」とあり、彼が磯城瑞籠宮(崇神天皇)朝において三上大神を祀ったと記され、その註文には彼が「三上祝、蒲..
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大王が希求する物 3 機動力(承前) また筆者は、この皇子が崇神天皇の名前(御間城入彦五十瓊殖)の一部を継承している点を重視して、彼は垂仁天皇の皇子ではなく崇神天皇の子供で、かつ垂仁の兄弟だったと考えています。つまり「五十瓊..
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少彦名命と淡路島 3 弓の名手(承前) 地図を見れば一目瞭然ですが、紀伊半島の直ぐ西側に瀬戸内海を斜交して浮かぶ淡路島は、直線距離にして4キロメートル弱しか離れていない、本州の明石から指呼の位置にあり、紀淡海峡を10キロメート..
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少彦名命と淡路島 2 天孫族の武器庫?(承前) 天孫族の有力な一員である少彦名神にとって、兄弟のオオクニヌシとの共同作業よりも優先順位の高い事柄があるとすれば、それはアマテラスを頂点とした宗家に関わるものではなかったでしょうか?記紀神..
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神祇令とオオクニヌシ 3 祭政不一致(承前) 三度目の国譲りが「出雲」の地で具体化したのは神武天皇の時代から、更に数世代後、崇神天皇の時代に入ってからの事で、畿内大和で実権を握った大王家は、元々親戚筋に当たる出雲臣たちが管理していた..
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神祇令とオオクニヌシ 1 天神地祇律令制度の整備が、天智天皇の近江朝で始められていたという見方については懐疑的な意見が多いようですが、八世紀初頭(西暦701年)に大宝律令が制定され、これを基にした養老令の注釈書である「令義解」に..
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古代史早分かり 4(承前) これらの伝承を総合すると五十瓊敷入彦命と名付けられた、垂仁天皇と日葉酢媛の長子は「① 自らが居住していた茅渟(大阪南部)の地で大量の武器を製造し、② それを大和忍坂の武器庫に保管、③ 更..
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古代史早分かり 3 治水と兵権(承前) 当サイトでは神武天皇の親子を主人公にした小説「サノの初夢」でも、彼らの実像を描き出す試みを行ってきましたが、瀬戸内海を大動脈とし利用した海人たちの航路開拓は、倭国の発展(及び混乱)と同期..
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応神天皇は神の子? 2 イリとタラシ(承前) 更に「五十=イ」については、孝安紀二十六年春二月十四日条に、 姪、押姫(オシヒメ)を立てて皇后とす。 一に云はく、十市県主五十坂彦が娘、五十坂姫という。 とあることに加え「..
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応神天皇は神の子? 1 「イリ」の意味白鳥伝説と共に語り継がれる古代の英雄ヤマトタケルの父だとされる景行天皇(オオタラシヒコ)は大変な艶福家であったらしく、多くの后妃を娶り、一家は大いに栄えました。古事記は子弟について、 凡そ..