記事「日常」 の 検索結果 112382 件
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さびしく、ただ生きながらえていくだけデルボラフ:若い夫婦が小さな愛の巣をつくりたがったり、老夫婦の干渉を受けたくないと思うのは、当然のことかもしれません。しかし、子どもが生まれるやいなや、老夫婦がいることのありがたさを痛感するようです。..
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わずかな年金で寂しい老後生活池田:現代社会においては、さまざまな原因によって老人が隔離される傾向が生じています。一方においては、若い夫婦の家計が苦しいといった理由もあげられますが、全般的な風潮として、物質的豊かさの追求に傾倒する..
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自然の保護池田:美しい山野は精神の飛翔をもたらし、人生の憂苦から心を解放し、勇気と希望をあたえてくれます。悠久に流れる河は、硬直した思考に流動性を蘇らせ、固定化した枠に広がりをあたえてくれるでしょう。またうっそ..
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自由と孤独エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』は、今では古典的名著となっています。その題名の示すように、大衆社会のおいては、人々は”自由”による孤独に耐えられず、全体主義的体制を求めるにいたったと分析してい..
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ロボットが働く時代(そうした生活にむなしさをおぼえ、労働の道に戻るのではないか) 少なくとも現在の世代についていえば、労働せずにすむことを恩恵と感じる日本人は少数で、大多数はむしろ苦痛を感じるでしょう。しかし..
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方便現涅槃についてされば、人びとが、少しでも生きたい、長く生きたい、というのは、人間性の自然の発露である。したがって、この尊き生を、人為的にふみにじろうとする者は、まさに天魔という以外にない。 しかして、その尊き..
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自ら得る以外にない仏法では「自解仏乗」といって、究極の悟りは、自ら得る以外にないのです。ですから、天台大師における悟りの原点は、大賢山における勝相にあったでしょう。ただ、それはまだ確証のない、明確な形をとらない内心の..
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『法華経』の根本精神大乗仏教の真髄である『法華経』の根本精神というのは、あくまで民衆が、等しく自己の胸中にもつ生命の究極の実相を覚知し、そこから無限の英知を開花させ、本当の幸せな人生を切り開いていくところにある。このこ..
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仏法者のあるべき姿「止観」(『魔訶止観』)というのは、まさに仏を見たてまつらんとし、衆生のなかに入って菩薩道を行ずるための、まず自己変革の法と捉えたい。ここに、禅宗のように、仏説の経典に依ることを排し、座禅入定のみを..
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感謝このような感謝の気持ちは、あらゆる人々、あらゆる事柄をすっかり包容しつくすような愛として表現されたり、あるいはそれに導くことになる例が極めて多い。また世間を美しいもの、善なるものとして認め、世間に対..
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釈尊の悟りの状態とは野崎:この悟り、あるいは悟達という境涯というか状態というものが、どのようなものであるか、われわれにはなかなか理解しにくいのですが・・・。 池田:・・・。 しかし、人間生命のうえからいえば、けっし..
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ヨーガという修行法池田:・・・釈迦の時代に下ると、もっと哲学的な意味から、禅定が考えられるようになってくる。 野崎:哲学的な意味といいますと、心を統一するとか、自己の内面を省察するとか…。 池田:そういうこともある..