記事「日常」 の 検索結果 112382 件
-
仏陀より先行する”法”仏教は究極に存在するものを”法”としますが、それを覚知した”仏陀”は人々に対し主・師・親の三徳をそなえているとします。すなわち、仏陀はただ”師”として人々に”法”を教え示すだけでなく”主”として人々..
-
大慈大悲・中悲・小悲”慈悲について、仏教では、それが向けられる対象範囲の広がりによって、区別を立てています。 一つは小悲といって、自分に関係のある人々、つまり家族とか知人などのみに向けられる慈悲があります。第二は..
-
愛と慈悲池田:キリスト教の”愛”も、神学的には、さまざまな論議と定義があることと思いますが、仏教の”慈悲”にも、厳密な定義があります。根本的にいえば、弱者への慈しみの心ですが、現在は弱者でなくとも、生命の法に..
-
死への準備ができていない人のためには宗教・哲学を持ち、死生感を確立している人は、死に対峙しても、容易に受容の段階にまでいたると思われます。 仏法を信仰している人の場合を見ていると、たとえ、死に直面していることが判明しても、一時のシ..
-
ゲーテの讃える躾法池田:倫理・道徳の躾は、先に述べたように、人格の枠組みのなかに組み込まれる必要があります。その枠組みができる時期を、しっかりした躾なしに成長した子どもは、開放的で伸びのびしているという特長はあっても、..
-
あらゆる人の苦悩を自分の苦悩にする仏教では、存在は根本的には苦であるとします。そして、それゆえにこそ、いっさいの存在への同苦を菩薩修行の基盤とするのです。慈悲とは、抜苦・与楽の両面を実践することであるとされます。そしてこの慈悲こ..
-
カルヴァンの予定説予定説は心理的には二重の意味がある。予定説は個人の無力と無意味の感情を表現し、強めている。人間の意志と努力とが価値がないということを、これほど強く表現したものはない。 96p ・・・カルヴ..
-
カルヴァンの神学カルバンもまた、教会の権威やその教義を、盲目的に受け入れることに反対したが、宗教は、かれにとっては、人間の無力さに根ざすものであった。すなわち自我の否定と人間的プライドの破壊ということが、かれの思想..
-
仏教でいう「人間の条件」仏教では、仏陀になることを究極の目的とし、そのための修行法を六波羅蜜として説きました。仏陀とは「衆生のなかで尊極の存在を仏陀という」と説明されるように、もっとも完成された人間の理想型にあたるといえます..
-
私は善良だから何をやっても正しい・・・つまり、有史以来、人間は自分に向けてその悪の門を開いている暗黒面と対決しつづけているわけです。 池田:そこで大事なことは、このような善悪両方の生命が自分の内にあることを、一人一人が自覚し、残虐..
-
サルトルの実存主義的ヒューマニズムデルボラフ:逆の過ちにおちいっているのが、サルトルの実存主義的ヒューマニズムで、人間の課題性を自然のままの所与性に完全に依存させ、意志の絶対的自己規定、自己創造にゆだねてしまっております。人間の本性を..
-
相手方にのみ責任を求める池田:元来、核家族化は、夫婦の絆を強めることになると期待されていました。たしかに老人たちと同居すれば、夫婦は老人たちに気を使わなければならず、とくに日本の場合、嫁と姑との確執は、ほとんどの家庭に見受け..