記事「昔話」 の 検索結果 1161 件
-
ドラへの道㉔大学1年生編・その5後期に入り、部室に行く回数が増えた。それまで理工キャンパスから本部キャンパスまで10分ほど歩いていたが、定期的に出ているシャトルバス(両キャンパスを往復)の存在に気付いたからだ。これで雨の日でも猛暑..
-
ドラへの道㉓大学1年生編・その4大学1年の前期が終了した。部室にははじめのうちは2週間に1度くらいしか行っていなかったが、不戦敗事件以来は週に1度顔を出すようにしている。 部内の新人王戦(前期の会費を納めた1年生が参加)は2局..
-
ドラへの道㉒大学1年生編・その3寮の左右隣の部屋にはそれぞれ早大1年の同期が入っていた。Kさんは政経学部、Mさんは商学部で私より1歳上である。Kさんの部屋に3人で集まり、だらだらとテレビを見たりしていた。 当時印象に残っている..
-
ドラへの道㉑大学1年生編・その2個人戦最終日の5日後、昭和52年度関東春季リーグ戦が開幕している。実はこの昭和52年は大きな転換期で、昨年まで1リーグ6校制(8リーグ)だったが、現在と同じ8校制(6リーグ)になっている。前期のA級..
-
ドラへの道⑳大学1年生編・その1昭和52年3月末に京都から新所沢へ引っ越した。父親の勤務する会社の独身寮に入っている。4階は全て大学生で10人ぐらいいた。 4月1日、早大の入学式である。新入学生はなんと1万500人、多すぎて記..
-
ドラへの道⑲高校3年生・後編前年に創設された将棋同好会だが、後輩たちが入部して若干活動が充実してきた。中心となったのは高校2年の2人だったが、彼らがどれぐらいの棋力だったかは全く忘れている。 中井順一君という同期がいた。同..
-
ドラへの道⑱高校3年生・前編ドラへの道⑰の最後に書いた京滋団体戦が高校生活最後の大会となった。大会終了後、大学受験に専念という態勢に入っている。 高校3年になる前に自分から将棋の一時引退は言い出した。どうせ母からそう言..
-
ドラへの道⑰高校2年生・後編昭和50年の6月だったか。高校選手権大阪府予選に参加した。会場などは全く忘れている。「将棋まつり」的イベントだったような気がする。坪内利幸先生ら棋士が何人かおられたことは記憶している。 トーナメ..
-
ドラへの道⑯高校2年生・前編昭和50年になった。4月、S塾(学習塾)へ行ったところ、高槻高のK君がノートを見ていた。横から覗き込むと詩が書かれている。 「あなたにさよならって言えるのは今日だけ―」 気障なこと書いてるな..
-
ドラへの道⑮高校1年生・後編高校1年の途中から四条大宮にあるS塾という学習塾に通うようになった。全体で60人ぐらいだったか。高槻高校の京都在住者が10人近く在籍していた。Sさんという塾長にカリスマ性があり、私は学校より塾に行く..
-
ドラへの道⑭高校1年生・中編アマ名人戦府予選で奇跡の4強に入った1週間後、第10回高校選手権京都府予選に出場する。自他ともに認める大本命と思っていた。 依然としてお粗末な序中盤だったが、前ほどひどくはなくなっている。相手も序..
-
ドラへの道⑬高校1年生・前編高校受験はせず、高槻高校へそのまま進学した。今も昔も高校入試を行わない完全中高一貫校であるが、入試をやっていた時期もあったようだ。平成29年からは男女共学校となっている。45年前にやってほしかった。..