記事「昔話」 の 検索結果 1161 件
-
ドラへの道⑫中学3年生・後編中学3年の秋、加納信義さんがまとめ役になって若手の研究会が発足した。加納さんは私が初めて大会参加した時に惨敗を喫した人である。同じ南口教室の一員(加納さんはたまにしか参加していない)で、教室で会った..
-
ドラへの道⑪中学3年生・前編正確な時期は忘れたが、八木信蔵五段に南口教室で何回か教わった。八木さんはこの時から15~20年ほど前にアマ名人戦京都府代表となっている。70歳近いベテランで全盛期の力はなかったはずだが、さすがに私よ..
-
ドラへの道⑩中学2年生・後編昭和48年3月、京都アマ王将戦に参加した。1回戦は順当に勝ったが2回戦で中江学雄五段と当たっている。当時の京都アマ棋界の番付をつくってみた。あくまで個人的なものである。 【横綱】花園 稔六段(昭和..
-
ドラへの道⑨中学2年生・中編想定より長くなったので中編とする。 昭和47年は将棋界にとって変革の年だった。6月に中原誠新名人が誕生している。大山時代から中原時代へと移行していく。 新名人誕生の5日後、中央大学1年の..
-
ドラへの道⑥中学1年生・前編昭和46年4月、高槻中学に入学している。高槻中・高(中高一貫の男子校)はその少し前に学生紛争のあおりを受けていて、立て看板などがわずかだが残っていた。 同じく4月から南口繁一八段(当時)教室..
-
ドラへの道⑤小学生・スピンオフ編私の小学校は左京区にあるノートルダム学院小学校(以下ND)。名前から想像できるようにカトリック系の私立小学校である。今は分からないが、当時は日本最大規模(1学年160人)の私立小学校だった。京都の私..
-
ドラへの道④小学生・後編昭和45年3月の京都アマ王将戦(現在は行われていない)が生まれて初めての大会参加となった。同大会は今のアマ王将戦とは関係がない。当時、京都府ではこの王将戦以外にアマ名人戦、支部名人・対抗戦、京滋職域..
-
ドラへの道③小学生・中編「藤井強し」と書いたら、その当日に敗れてしまった。ちょっとハードスケジュール(2、4、8、10日に対局)かな。もっとも相手の大橋貴洸六段も強く、これで藤井七段に3勝2敗である。 5年生になっ..
-
ドラへの道②小学生・前編私もH君も地元の公立校ではなく、私は私立、H君は国立小学校に進んだ。なお、私の受験人生は不合格続き、幼稚園で1敗、小学校で1勝1敗、中学校で1勝2敗、高校は受験なし、大学で1勝1敗1分け(2次補欠合..
-
ドラへの道①園児編新たなシリーズを始めることにした。将棋を切り口にした自叙伝。そんな大それたものではなく、個人的な昔話(園児から大学生)である。尾崎士郎の「人生劇場」、五木寛之の「青春の門」(ともに早大が舞台)を連想..
-
ドラのお粗末事件簿④遠くへ行きたい事件+木村実戦集4歳のことである。母は赤ん坊である妹の面倒を見ることに追われており、私へのマンマークが甘くなっていた。 そんなある日、私はひとりで散策に出掛けた。動機、どのルートを使ったなどは全く記憶にないが、..
-
ドラのお粗末事件簿③5円玉事件先日、帰省する際に寄ったラーメン店(5月30日分の写真)で珍しく40分も並んだ。緊急事態宣言は解除されたが、並ぶ(そもそも嫌い)のにはまだまだ抵抗がある。しかし、時間的な問題などで仕方なく行列に加わ..