記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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一橋徳川家屋敷跡一橋家は、徳川将軍家の血筋を保持するために設けられた家で、田安家、清水家とともに御三卿と呼ばれていました。将軍家に後嗣がないときは御三家および御三卿から適当な者を選定することとされていて、徳川慶喜は、..
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震災イチョウこのイチョウの木はかつての「文部省」跡地(現在の毎日新聞社本社ビル近く)にありましたが、関東大震災による火災から幸運にも焼失を免れました。当時の人々に復興への希望を与えたことから「震災イチョウ」と呼ば..
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和気清麻呂像和気清麻呂は奈良時代末から平安初期の貴族で、神護景雲3年(769年)に2度めの宇佐八幡の神託を奏上し、道鏡の野望を砕いたと伝わっています。昭和15年(1940年)に紀元2600年を記念して、忠臣の鑑と..
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海軍兵学寮・海軍軍医学校跡東京・築地に海軍操練所が創立開設されました(明治2年)が、翌年に海軍兵学寮と改称されました。さらに明治9年(1876年)には、改称されて海軍兵学校がこの地に開校。海軍兵学校は明治21年に広島県の安芸郡..
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農産陳列所・蚕病試験場跡明治政府は農業振興のため明治7年に、現在の新宿区に蚕業試験掛と農業博物館を設立しました。明治16年(1883年)には、現在地に博物館の業務を継承する農産陳列所が、その翌年には蚕病試驗場が設置されました..
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鹿鳴館跡鹿鳴館は、明治16年(1883年)に日本の欧化政策の一環として建設された西洋館。外国との社交場として使用され、明治10年代後半は「鹿鳴館時代」と呼ばれています。明治23年(1890年)からは華族会館と..
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御岳の神代ケヤキ東京都青梅市の御岳登山鉄道(御岳山ケーブルカー)御岳山駅から武蔵御嶽神社に向かう参道の右側に立つ欅の古木。社伝によれば、日本武尊の東征の折に御岳山に登り武具を蔵に納めた頃には既に生息していたとも、日本..
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畠山重忠公像(武蔵御嶽神社)東京都青梅市の武蔵御嶽神社宝物殿前に立つ「清廉の武将畠山重忠」像。宝物殿には重忠の奉納と伝わる国宝の赤糸威鎧が収蔵されていて、この像は武蔵御嶽神社百年式年記念事業として建立されたそうです。また、この像..
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武蔵御嶽神社東京都青梅市の武蔵御岳山の山上に鎮座し、崇神天皇7年(紀元前91年)の創建とされる神社。天平8年(736年)に行基が蔵王権現を勧請したと伝わり、中世以降、山岳信仰の霊場として発展し、武蔵・相模に渡る信..
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扇塚と芭蕉句碑浅草寺近くの弁天堂の下に、扇塚と芭蕉句碑が並んで建てられています。扇塚は日本舞踊で使用し古くなり、使えなくなった扇子に感謝し供養する処。また「くわんをんの いらか見やりつ 花の雲」の句が刻まれた芭蕉句..
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紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡紀伊和歌山藩徳川家は徳川御三家の一つで、初代藩主は徳川家康の10男頼宣。8代将軍吉宗、14代将軍家重が紀伊徳川家から出ています。その紀州徳川家の上屋敷跡が、現在では複合商業施設である東京ガーデンテラス..
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玉川上水の石枡東京都千代田区の清水谷公園内に展示されている玉川上水の石枡。この石桝は昭和45年(1970年)に麹町3丁目で出土した玉川上水幹線(本管)の一部。玉川上水は承応2年(1653年)に着工、翌3年6月に完成..