記事「東京」 の 検索結果 67036 件
-
贈右大臣大久保利通公哀悼碑大久保利通は明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称された政治家。 明治11年(1878年)5月14日、馬車で皇居へ向かう途中、紀尾井坂付近の清水谷(現在の東京都千代田区紀尾..
-
日枝神社東京都千代田区永田町にある神社。太田道灌が江戸城築城にあたり川越日枝神社を勧請したのに始まりで、徳川家康が江戸に移封された際に城内の紅葉山に遷座して江戸城の鎮守としたそうです。 その後、明暦の大火で社..
-
代々木明治神宮参道に立つ「代々木」の地名の由来となったとされている樹木。江戸時代に彦根藩井伊家下屋敷であった当地には代々樅の巨木があり「代々大きな木があった」という意味で「代々木」の地名が発祥したそうです。..
-
明治神宮東京都渋谷区に鎮座し明治天皇と昭憲皇太后をご祭神とする神社。境内には多くの樹木が育ち、神宮の森とも呼ばれ、都心部の貴重な緑地として親しまれています。また、初詣では例年日本一の参拝者数を誇っています。
-
柘榴坂東京都港区高輪三丁目と四丁目の境界にある坂。江戸時代には北側が薩摩藩島津家下屋敷、南側が久留米藩有馬家下屋敷と両側を広大な屋敷に挟まれていました。また、もとはカギ形に折れ曲がる坂でしたが、明治時代に直..
-
江戸の殉教者顕彰碑江戸時代に東海道沿いの札の辻(現在の田町駅付近)から 品川に至る小高い地で50名の切支丹信者が火刑に処せられたのをはじめ、江戸全体では2千名近くの信者が殉教したとのこと。この江戸の大殉教者約2千人の信..
-
巌谷小波住居跡巖谷小波は明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。明治44年(1911年)に作った文部省唱歌「ふじの山」の作詞者としても知られ、「一寸法師」の作詞も手がけました。また、金色夜叉の主人公・間貫一の..
-
ゆうれい地蔵江戸の昔、近くの飴屋に毎晩雨の日も赤ん坊を連れた若い女性が飴を買いにきていましたが、この寺の住職がこの地蔵を毎日供養すると、母子は現れなくなったとのことです。この地蔵は死んだ母親に代わって子どもを育て..
-
二本榎の碑江戸時代、この付近のある寺に大木の榎が二本あって、東海道を旅する旅人のよい目印になっていたそうです。それがそのまま「二本榎」という地名となって続きましたが、その後、町名変更等があっても、この「二本榎」..
-
興意親王墓興意親王は正親町天皇の孫にあたり誠仁親王の第5王子となる安土桃山・江戸前期の皇族。慶長19年(1614年)、豊臣氏が建立した方広寺大仏殿の棟札銘文に書くべき大工頭の名を入れなかったという江戸幕府の嫌疑..
-
旧細川邸のシイ東京都港区高輪の旧熊本藩細川家下屋敷(大石内蔵助他16名が切腹をした処)跡に植えられていて、推定樹齢は300年以上で、現在も当時のまま残っているスダジイ。樹高は10.8m、幹周りは8.13mあり、東京..
-
大石良雄外十六人忠烈の跡吉良邸討ち入り後、大石内蔵助他計17名は肥後熊本藩主細川綱利の屋敷が預けられ、元禄16年(1703年)2月4日、同屋敷で切腹しました。港区の都営高輪アパート内に切腹の跡とされる場所が残されています。