記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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坂本龍馬像(立会川)幕末の嘉永6年(1853年)6月3日、ペリーが4隻の黒船で浦賀に来航。 その当時、坂本龍馬も土佐藩の一員として、土佐藩抱え屋敷に設けられ ていた浜川砲台での警備に駆り出されていたそうです。
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品川寺東京都品川区南品川にあるお寺で、江戸33箇所観音霊場の第31番。 弘法大師を開山として創建され、その後、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立されたとのこと。さらにその後、承応元年(1652年)に再興..
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釜屋跡釜屋はかつて南品川にあって大変に繁盛していた建場茶屋の一つ。 慶應4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組隊士たちは、 同月15日に品川に上陸し、 しばらく釜屋に滞在していたとのことです..
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街道松の広場旧東海道の旧品川宿の数カ所には街道松と呼ばれる松が植えられて いて、その中の一つ「品川宿の松」が「街道松の広場」に植えられています。 浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された樹齢80年の黒松とのことです。
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品川橋品川宿の中央にあり北品川宿と南品川宿を分けていた目黒川に架かる東海道の橋。 昔は北の天王祭(品川神社)と南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日で、 両社の神輿がこの橋で行きあった事から、行合橋とも言われ..
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品川宿本陣跡(聖蹟公園)品川宿は東海道53次の第1番目の宿場街として発達した江戸4宿の1つ。 現在、本陣の跡地は公園となり、明治元年(1868年)に明治天皇の行幸の 際の行在所となったことに因み、 聖蹟公園と命名されています..
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土蔵相模跡品川宿にあった「相模屋」という高級妓楼は、土蔵づくりから「土蔵相模」と 通称されていたそうです。高杉晋作など幕末の志士たちの会合場所としてよく使われ、 また、桜田門外の変を起こした水戸浪士たちも、前夜..
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問答河岸跡三代将軍家光がこの地にあった東海寺を訪ね、その帰り際に沢庵禅師と 「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」 「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」 と問答を交わした地とのことです。
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西郷・勝会見の地慶応4年(1868年)3月13日・14日の両日、江戸無血開城に向けて、 徳川家側の陸軍総裁・勝海舟と大総督府下参謀・西郷隆盛との会見が 薩摩藩江戸藩邸において行われました。
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芝口御門跡宝永7年(1710年)、朝鮮の聘使の来朝に備えて我国の威光を顕示す るため、新井白石の建策に基づき、現に外桜田門に見られるような城門が新橋の北詰に建設されて、芝口御門と呼ばれたそうです。
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商法講習所跡商法講習所は、明治8年(1875年)、駐米日本代理公使を終えて帰国した 森有礼が銀座尾張町に創設した商業学校で、現在の一橋大学の源流。 校舎は当初、この地にあった鯛味噌屋の2階を使用したそうです。
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江戸歌舞伎発祥の地出雲阿国が京都で歌舞伎の始まりとされている“歌舞伎踊り”を始めましたが、その20年後の寛永元年(1624)年に、猿若勘三郎が江戸の京橋付近に猿若座(後の中村座)を開設したのが江戸歌舞伎の始まりだそうで..